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大衆とともに

今日9月13日は、公明党の立党の精神「大衆とともに」の宣言から50年の佳節に当たる。政治は誰のために行うのか。何のための政治か。改めてこの原点に立ち返って今の政治状況を眺めてみると、この国の未成熟さを痛感する。

 先の通常国会は9月8日に幕をとじた。社会保障と税の一体改革が大きな焦点となり、公明党が民主、自民をコントロールしながら、将来にわたって責任を持つ法案の成立をみた。この法案の成立を境に一気に政局が流動化した。与党民主党は大量の造反者を出し、元代表グループが離党、新党を旗揚げした。消費税増税反対を叫んでの新党旗揚げだが、それでは昭和22年~24年の第1次ベビーブームに生まれたいわゆる団塊の世代(270万人くらい)が年金受給年齢に達し、近い将来70歳を超える時代になり、医療や介護のニーズが飛躍的に増えることが予想される今、社会保障制度が危機に瀕することへの対策は全然触れていない。あまりに無責任である。 

 政権についた民主党のマニュフェストは、いずれも実現せず、国民は完全に裏切られた。このマニュフェスト作成の責任ある立場にあった、元代表の離党。こうした行動に政治が国民のためにあるという崇高な理念はかけらも感じられない。世間ではこれを党利党略と呼んでいる。
 野党第1党の自民党はどうか。国会終盤で早期解散を求め、野党7会派の提出した問責決議案に同調するという何とも不可解な行動に出た。この問責決議案の提出理由が、民主、自民、公明の3党合意が問題だとしているにかかわらずである。自党をも批判の対象にしている決議案になぜ賛成するのか。マスコミにスジが通らないと批判を浴びたのも当然である。

 この3年間で、「マニュフェスト政治」の権威は失墜した。極論をいえば、マニュフェストに掲げる政策は実現しない政策、マニュフェストに掲げない政策こそが正しい政策といわれかねないような状況である。国民に回復不能なほどの政治不信を招いた政治家の責任はあまりにも重い。

 今必要なのは、国民の生活現場の声を聞き、これを政策に高めることのできる人材がいる政党、これを国政につなぐネットワーク力を持つ政党。いいかえれば「大衆とともに」という原点を持つ公明党しかない。