これまで幾度となく「合意形成の政治を」と訴えてきた。成熟した民主主義といえるためには、この合意形成による政治がなにより大事であると確信する。
現代は、ものの考え方や価値観がますます多様化している。政治の世界でもこれを反映して、多党化の状況にある。有権者の多様な受け皿として多様な政党を求めているようである。
このように多様化する「ニーズ」に対してこれをいかに調整するか、に政治の本源的な役割がある。そして、調整を経て得られた着地点が妥当であればあるほど、国民はその結果を受け入れやすくなる。
この調整がうまくいかず、それでも結論を出さなければいけない場合は、「民主主義」は「多数決」という決定方法を用意している。
さて、こうした政治の利害調整は、かつて「富の配分」という側面が強調され説明されてきたが、経済成長が鈍化し、社会保障の要請が増大している最近では、「負担の配分」という側面が政治に期待されつつある。
国民に社会構造の変化に応じた適正な負担を求めていく必要性が増大している現代にあっては、ますます合意形成の政治が渇望される。そして、その前提として、論点をきちんと整理して徹底的に議論しあうことが重要である。その結果としてそれぞれ譲歩しあい、妥当な着地点を見出す。これが合意形成の政治である。
そのためには、多様なものの考え方への寛容性を持つことが必要であり、自己の主張にのみ固執するような政治スタンスは好ましいことではない。政治には常に「妥協」という場面が求められる。徹底した議論を経ての「妥協」であり、こうしたプロセスをきちんと踏むことが政治への信頼回復の第一歩である。国民はこうした議論の末の結論を望んでいる。
政局優先の対極にある、「合意形成の政治」スタイル。国会、議会が言論の府であるならば、当然の要請であり、民主主義の成熟度はこの点に如実に現れる。