臨時国会終盤を賑わせた「特定秘密保護法」は、成立後も一部で依然くすぶっている。同法の修正を目指して新党が結成されるなどの動きも出ている。
今回の一連の国政の動きやマスコミの報道などを眺めたとき、現代社会においては守るべき価値同士の「衝突」とその調整の場面が日常的に起こっていることを改めて認識するところである。
イノベーションの進展や経済の成長、またグローバル化がますます進む今の時代では、国内に限らず国際的にもこうした価値の衝突は生じている。政治に期待される大きな役割の一つに、この「価値の衝突」をいかに調整し、「調和」させるかがある。
これを伝統的な法学論でみたとき、「保護法益の調整」という古くから議論されてきた命題に行き当たる。一例を挙げれば、言論の自由という法益も真実性の裏打ちがないときは名誉棄損という他の守るべき法益との衝突から制限される。
このように、我々の現実生活では権利と権利との衝突、法益と法益との衝突は常に生じる可能性があり、裏を返せば、どのような「権利」、「法益」も、「常に」絶対的無制限に保護されるというものではなく、他の権利、法益と衝突する場合には必然的に「制約」される場合がある。その調整のための「法律」という客観的制度を設けているのが、法治国家である。でなければ、恣意的な無秩序の社会となってしまう。
今回の特定秘密保護法の最大の論点は、「国の安全に関わる重要情報の厳格な管理」という法益と、いわゆる「知る権利を背景とした取材・報道の自由」という法益の衝突をどのように調整し、調和させるか、であった。
個人においても例えばキャッシュカードの暗証番号などみだりに他に知られてはならない「秘密」があるし、また企業においてもいわゆる「企業秘密」という形で表現されるように、競争相手に知られたくない企業情報がある。国家においても他に漏らすことによって国家の安全を損なうような重要情報があることは、当然考えられるところである。
一方、知る権利は元来、国家権力の恣意的な作用を制限するために、「何が政府で行われているのか、あるいは行われようとしているのか」を国民が知りうることを権利として保障しているものである。民主主義の生命線のひとつともいえる国民の重要な権利であることは疑いない。
この両者をぎりぎりの点で調整したのが今回の法律ではなかったか。「秘密」の範囲を国家の存立にかかわる4つの分野に限定することによって、これだけは厳格に管理するという範囲を明確にするとともに、これ以外の情報については知る権利に「提供」する。そのルールを定めたものと解される。 なおかつ、有識者をメンバーにいれた委員会による「基準づくり」、そして外部機関による運用のチェックなどにより、一定の枠をはめている。
最近の我が国を取り巻く状況や、これまで情報管理が甘い国として国際的にも我が国に対する必要有益な情報提供が敬遠されてきたという「通説」から鑑みれば、今回の法律はようやく国際標準になったという論調もある。国家の安全を損なってまで、知る権利が絶対的であるとするのは非現実的との見方も成り立つ。,
今後もこうした重要な価値同士の衝突の場面は多々発生するだろう。その時にどのような調整を行っていくのがベストか?その答えを我々自身が創り出していかなければならない。そのために妥当な結論を冷静に導き出す「コモンセンス」を一層磨かなければ、と自戒している。