大規模災害を乗り越えるために、また2025年問題への対処のために、「地域コミュニティ」の役割について改めて光をあてるべきだ、とこれまで訴えてきた。
地域コミュニティについて本格的に意識しだしたのは、平成16年のことである。当時県庁で、犯罪に遭いにくい「安全安心なまちづくり」の条例づくりに携わったことが直接のきっかけであり、このときに伝統的な日本の地域社会がもっていた様々な有益な機能が次第に衰退していく現状に気付かされた。
地域の衰退、平たく言えば、地域が次第に元気をなくしていく要因は、経済成長やこれに伴う産業構造の変化、居住形態の変化(核家族化と共稼ぎの増加など)などが密接にからみあっている。もう一つ見落とせないのは、行政との関係性や役割の流動化である。
原初的には、人間は「ムラ」という共同体を組織し、狩猟や農耕などを共同で行うことにより、その生存を確保してきた。
高度経済成長期に入るまでこの伝統は続いてきたと見える。お互いの「関係性」という人間が生きていくための前提条件のうえに、いわば「持ちつ持たれつ」という「緊密な人間関係」を築いてきたものと思う。お互いが生きていくためには、どうしても必要なシステムであったといえる。「道普請」などにみられるように、日常生活の一部として「共同」ということが当然とされてきた。
経済の高度成長はこれを一変させた。産業構造が変化し、これまでの第1次産業中心から第3次産業へと急速にシフトし、若い世代は就職のため家を出て都市部へ、結果として大家族制は必然的に核家族化へと変わっていく。
なおかつ、経済発展は生活に豊かさをもたらし、他に頼らなくても「モノ」が手に入るようになる。次第に生活の単位が「地域」から「家庭」へと狭小化していく。地域とのかかわりをもたずに家庭だけで完結可能へと変化していくことは、必然的に地域内の「むすびつき」を瓦解させていく。
時代の要請として、「戦後からの復興」があり、敗戦から立ち直って一日も早く社会建設を行うために、一心不乱に働き続けてきた。そこには地域社会に目を向ける余裕はなかったかもしれない。また、1970年代の第2次ベビーブームを背景に、大規模な団地開発が進んだことは、そこにまったく新しい地域をつくったが、コミュニティ形成は全くのゼロからのスタートである。
こうしたいわば「地域」から「家庭」へというライフスタイルの変化は行政作用にも変化をもたらしたと思われる。
かつて「すぐやる課」や「なんでもやる課」という新しいセクションが生まれたように、行政作用を「サービスの提供」という役割を強調する考え方がもてはやされた。
こうなると、行政の役割の肥大化が進行し、これまでの地域での課題解決というあり方から、行政による課題解決への期待へとシフトしていく。これが地域にどういう状況をもたらしたか。いうまでもなく、地域の主体性を低下させ、「依存意識」を助長させたのではないだろうか。
これは、高齢者の介助にも例えられる。身の回りの世話にあまりに手を出しすぎるとかえって身体機能の衰えを招き、ADLが低下してしまうような気がしてならない。現在、91歳の父親を自宅介護している自分の経験からの実感である。
バブル崩壊後、自治体経営に「行政と市民の協働」という概念が導入されたのは、おそらくこれまでの行政と市民の役割分担の流動化がもたらした地域コミュニティの機能低下に気付いたからではないだろうか。
しかし、その実現には様々困難が予想される。行政、市民双方がお互いの役割分担についてのこれまでの考え方を見直し、新たな関係構築を行っていかなければならない。
そのためには、これまで本ブログで主張してきたように、「パラダイムの転換」を強く進めていく必要がある。これまでの「依存意識」を排し、自分たちでできることは自分たちで「汗をかく」という地域の「主体性」を今一度育てていく努力が必要であると思われる。
地域の課題についてまず地域で考え、解決に向けて苦闘し、行動していく。そこに、地域の人間関係も蘇生してくるように思えてならない。
もちろん、かつてのような緊密な人間関係の復活を求めるのではない。現代の社会構造のもとでは、緊密な人間関係に息苦しさを感じる人は少なからず存在する。むしろ、「最低限のつながり」「ゆるやかな関係性」という方向がいいのではなかろうか。
この意識転換を進めるための新たな理念として、「自分たちのまちは自分たちでつくる」ということを訴えていきたい。自分の住んでいるまちだから、自分で何とかしていきたい。そこに、ごく素朴な、地域への「帰属意識」であるとか「誇り」が芽生え、地域に対する見方もかわってくるのではないか、と思っている。
今後支え合う地域社会の実現が急がれるが、だからこそ地域活動がますます重要になってくるのではなかろうか。