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考え方を変える時が来ている

前回、映画「じんじん」からまちづくりのひとつのあり方について取り上げた。

自分の所だけ儲けようとするのではなく、まち全体で分配していこうという考え方である。

経済の「地域内循環」という発想に通じる考え方である。それぞれの店舗や施設がお互いに役割を分担し合い、関係し合いながら、地域という一つの単位で全体として潤っていく。
そこには、まちの持続的な発展のため。という目的意識のもとにそれぞれがつながっている。一つの店、一つの施設だけで完結させようというものではない。別の言葉でいえば、「一人勝ち」という発想がそもそもない。

我々が生きていくうえで、これまでの右肩上がりの経済成長期には、経済的価値、すなわち貨幣に換算できる価値を追い求めてきた。おそらく「豊かさ」が生活の豊かさとイコールという考えが支配的だった。
これは「1億総中流」という言葉がもてはやされたことからもうかがえる。

豊かさを求めるために、より多くの「モノ」を手に入れようとし、そのためにより多くの「カネ」を手に入れようとする。

その性向に着眼した、大量にしかも安価に、なおかつあらゆる「モノ」を手に入れることができる郊外型の大型店舗がもてはやされ、身の回りの従来型店舗は姿を消していく。
便利でしかも安く買える店にせっせと車で通って「モノ」を手に入れる。大量に用意された「モノ」を自分で選びレジで代金を払って帰っていく。その風景は自動販売機でモノを手に入れるのとほとんど変わらない。
いわば、「人」を介さずに「モノ」が手に入る、機械的な消費行動である。

その結果はすでにご案内のとおりである。まちなかの店はこうした大型店の前に次から次へと姿を消していく。高齢者を中心に買い物難民が生まれ、新たな行政課題が発生する。
今現在の自分の生活だけを考えた行動が、やがて10年、20年先の自分に跳ね返っていく。高齢となり車の運転もままならなくなれば、こうした郊外店舗に行くことは難しい。そこではたと困った、となる。’

従来型の店にはそれなりの良さもあった。地域の人が集まる場所でお互いの情報を交換し合いながらゆっくり買い物ができた。また店主も話がうまい人が多く、さながら「情報と交流」のステーションのようでもあった。
こうした場所が次第に少なくなることは地域コミュニティの瓦解に拍車をかけることは必定である。
「人と人との交流」といった貨幣に換算することが難しい価値が隅に追いやられた一つの結果ではなかろうか。

右肩上がりの成長が終わった今、こうした貨幣価値に置き換えられない価値をもう一度見直していくことが必要だと痛感する。

その意味で「交流」がまさにこれからのまちづくりのキーワードになると実感している。\"

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