ここのところの各種報道の焦点は、いわゆる「集団的自衛権」に関する与党協議の状況である。’
連日の攻防戦が伝えられる中、法的なものの見方や国際関係等論点が多岐にわたるなかなか難しい議論なので、あくまで客観的な立場から少し整理を試みたい。
最初に確認すべき点は、論点となっている「集団的自衛権」といい、これに対する概念としての「個別的自衛権」といい、いずれも「自衛」すなわち、簡単に言えば、他からの不当な攻撃から「身を守る」対応であり、「先制攻撃」ではないということである。
この点はきちんと押さえておく必要がある。
■国際法上の「自衛権」の位置付け
現在の国際関係は、国連を中心とした枠組みの中で動いている。国連憲章では、まず各国に対して武力による他国への侵害を禁じている。
この原則を破る事例が発生した場合、いわゆる「安保理決議」により当該国に対して「制裁」が発動される。これが集団安全保障といわれるものである。
ただし、事例発生から安保理決議による制裁発動までの間には、どうしても「タイムラグ」があるため、発動されるまでの間は、侵害された国に、例外的に、集団的、個別的な自衛のための武力行使が認められている。
■憲法と「自衛権」との関係
憲法9条は、その第1項で、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」と定め、第2項では、前項の目的を達するため、「戦力は保持しない。」と定めている。
この規定からは、「自衛権」が明示されていないが、前文の「全世界の国民が、平和のうちに生存する権利を有する」という規定、及び第13条の「生命、自由及び幸福追求の権利」の規定から、「武力攻撃によって国民の生命や自由が根底から覆される急迫、不正の事態に際し、国民の権利を守るための措置」として自衛権が認められると解されている。
これが今回焦点となっている1972年政府見解である。
国際法上認められている自衛権について、我が国の憲法解釈から位置付けを行っており、これが長い間の政府解釈の基本となっている。
■「集団的自衛権」と「個別的自衛権」
「自衛権」について現憲法下でも認められていることについては、通説的な考え方となっている。
議論となっているのは、この自衛権のうち、国連憲章で例外的措置として認められている「集団的自衛権」と「個別的自衛権」についての現憲法下での位置付けである。
この「集団的自衛権」についての政府の公式見解が1981年の政府答弁書である。
これ以前の状況をみると「集団的自衛権」という概念については必ずしも明確なものがないが、外国の領土に自衛隊を派遣するという状況を意味すると理解する傾向が強いといわれている。
この点からおそらく「海外派兵」ではないか、「再軍備化」の端緒となるのではないか、というイメージが生まれたのではないかと思われる。
1981年政府答弁は、後年の政府の一貫した立場の基礎となる見解を出している。
まず、「集団的自衛権」とは、「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利」と定義している。
端的に言えば、自国に対する攻撃か他国に対する攻撃か、によって 「個別的自衛権」と「集団的自衛権」を区別している。
そのうえで、現憲法下での自衛権も無制限に認められるのではなく、我が国を防衛するための「必要最小限度の範囲」で行使されるべきであり、いわゆる「集団的自衛権」はこの「必要最小限度」を超えるため、その「行使」はできないとされた。
この解釈は現在に至るまで踏襲されており、「集団的自衛権」は我が国も持っているが、現憲法ではその行使が認められていない、という考え方が定着している。
この「必要最小限度」か否かという概念が注目すべき点である。
当時の政府は、「国民の生命等が危険に直面している状況下で実力を行使」する場合がこの「必要最小限度」の範囲内であり、「他国を守るための実力行使」はその範囲外としているようである。
当時のいわゆる「冷戦」下の国際情勢やそれ以前の「外国領土への自衛隊の派遣」というイメージが影響を与えているようにも思われる。
こうした、自衛権をめぐる国際法上及び我が国憲法での法的位置付けを基本的に確認したうえで、現在焦点となっている集団的自衛権をめぐる議論を眺めていく。
詳しくは次回以降に譲るが、「自衛権」も憲法に明示規定がない中での憲法解釈による位置付けであり、「解釈」である以上、憲法の基本理念の枠内のものである必要があることは当然である。
仮に、これを超えるような考え方をとりたいというのであれば、「憲法改正」という手続きが必要となることは、自明の理である。
この意味から巷間で耳にする「解釈改憲」という概念については、憲法順守の規定を置いている以上、疑問が大いにあることを指摘しておきたい。