前回「集団的自衛権」行使についての1981年政府答弁を紹介したが、こうした政府の立場が表明された背景について考えてみたい。
外交や防衛に関する国の方向性は、その時々の国際情勢や我が国をとりまく環境といった文脈の中で読み解いていく必要がある。
敗戦国という立場から国際社会の一員へと復帰した中、国際的な信用を回復するという至上命題のうえから、我が国の「振る舞い」は、当時の国際社会の注視するところだっただろう。
敗戦の焦土の中から、我が国は戦争放棄を憲法で対外的に宣言し、復興に向けて歩みを進め始めた。軍隊は解体され、2度と悲惨な戦争を引き起こさないという誓いのもと国際社会への復帰を目指した。
しかしながら、大戦後の国際社会は、東西冷戦時代へと突入していく。東アジアでの朝鮮戦争の勃発は、いわゆる「西側」すなわち自由主義諸国にとって、日本の「防波堤的役割」への期待を否が応でも高めたことは想像に難くない。
そのための「実力組織」を何とか日本に持たせようとする時に立ちはだかったのが、憲法9条である。9条がある限りあからさまに「戦力」は持てない。そんなことをすれば、世界中から警戒され、特に、アジア諸国からの猛反発は必至である。
苦心の末生まれたのが、現在の自衛隊の前身である「警察予備隊」である。軍隊ではなく警察組織の特別版という形で誕生したものだが、その後の安保体制の中で自衛隊として発展し、今日まで至っている。
こうした9条の制約のもとで生まれた自衛組織である以上、必然的にその行動範囲については限定的であり、自国防衛の限度において存在が許されるという理解が国内的にも国際的にも定着したものといえる。
このことは、「集団的自衛権」という概念にも大きな影響を与えたものと考えられる。近隣諸国からの「再軍備」ではないか、という批判を回避するためには、自衛権の範囲を「自国内」にとどめる必要があったと推察される。戦時中のイメージを払しょくするためには、自衛隊の海外派遣につながる「集団的自衛権」は行使を否定する必要があった。
1981年答弁での「集団的自衛権」は、分りやすく言えば、武力侵害を受けている同盟国へ自衛隊を派遣して防衛の任に当たらせる、という想定ではなかろうか。おそらく、軍隊ではないか、という批判を回避し、しかも議論をわかりやすくするために、自国内か自国外かという区分をもって個別的自衛権と集団的自衛権を定義付けたのではないだろうか。そして、「行使の要件」として「必要最小限度」か否かを規定したものである。
これは、東西冷戦構造、近隣諸国との関係、憲法9条の対外的メッセージ性など、当時の我が国を取り巻く国際情勢に即応した判断であるということだ。
が、今議論が沸き起こっている。現在焦点となっている「集団的自衛権限定行使論」がこれだ。
集団的自衛権、個別的自衛権、いずれもその名称についているように「自衛権」の範疇のものである。憲法で認められている「自衛権」という概念がそもそも、「自国の存立を脅かし、自国民の生命等に重大な危険を及ぼす」他からの急迫不正の侵害行為に対し、これを実力で阻止する権利と解釈されている以上、いずれについても行使できるか否かの判断基準は、この「自国の存立を脅かし、自国民の生命等に重大な危険を及ぼす」侵害行為に向けられるものか否か、であるはずだ。
現在の「限定行使論」はおそらくこの自衛権行使の本質的議論から出発しようというものではないかとみえる。
現下の我が国を取り巻く国際環境のもとで、そして憲法9条のもとで、我が国及び国民の安全確保のためにどこまで自衛のための措置が認められるか、という議論であるが、この点が一つの大きな論点となっている。
なぜなら、集団的自衛権行使についてのこれまでの政府の立場とどう整合が図られるのか、という当然の疑問が生ずるからである。
次回は、この「限定行使論」について可能な限り考察し、論点整理してみたい。