7月16日付けの毎日新聞社説では、予算委員会での横畠内閣法制局長官の答弁は重いとして次のように主張している。少し長くなるが、該当部分を引用する。
「審議の焦点の一つは、政府が歯止めとする武力行使の3要件のうち「(国民の権利が)根底から覆される明白な危険がある場合」をどう解釈するかだった。
横畠(よこばたけ)裕介内閣法制局長官は、次のように定義した。
他国への武力攻撃が発生し、「国民に、我が国が武力攻撃を受けた場合と同様な深刻・重大な被害が及ぶことが明らかな状況」だと。
その上で、どういう事態が該当するかは「攻撃国の意思、能力、事態の発生場所、規模、態様、推移」などを総合的に考慮し、「我が国に戦禍が及ぶ蓋然(がいぜん)性、国民が被ることとなる犠牲の深刻性、重大性などから客観的、合理的に判断する」と。
つまり、日本自身が武力攻撃を受けたのと変わらないぐらい深刻な場合にのみ、集団的自衛権の行使が許されると言ったのだ。
それならば集団的自衛権の行使を認める必要はなかった。これまでの個別的自衛権で説明できる話だ。「我が国が武力攻撃を受けたのと同様な被害」という長官答弁を重く受け止めたい。」
(下線は筆者)
これを目にしたとき、一体閣議決定を熟読したのか、と強い疑問が沸き起こる。と同時に、国際法上の「集団的自衛権」「個別的自衛権」の定義づけを全く理解していないのではないか、と目を疑いたくなる。
「集団的自衛権」とは、「密接な関係を持つ他国に対する攻撃を、自国が攻撃されていないにもかかわらず、実力で排除する」自衛権である。従って、今回の閣議決定で追加された部分は、「他国に対する攻撃」に関するものであるから、国際法上は「集団的自衛権」に分類されるのであって、社説でいう「個別的自衛権」では説明出来ないものである。
おそらく、この程度の皮相的な理解だったのであろう。当初から、専ら「他国防衛」のためだけの集団的自衛権は、これまでどおり行使することはできず、「形式的に」集団的自衛権に分類されるケースの中にも、「我が国、我が国民を守る」上で自衛のための武力行使が認められるものがある、と説明を繰り返してきたはずである。
この程度は閣議決定を虚心坦懐に熟読すれば、おのずとわかる内容である。それが法制局長官の答弁で初めて知った、というような書き振りではなにをかいわんやである。
いまだに、閣議決定が集団的自衛権行使容認だ、解釈改憲だと騒いでいるのは、「我が国の安全等に重大な影響を及ぼす場合」のみに自衛権行使を認めるという核心部分を意図的に読み落として、難癖を付けているだけに過ぎない。
「他国に対する攻撃」だから「集団的自衛権」じゃないか、とおうむ返しである。もはや憐憫の情さえわいてくる。最も重要な、「我が国の存立を全うし、国民の権利を守る」上で自衛のための武力行使が例外的にどこまで認められるべきか、という議論についてこれず、単なる概念論争に持ち込むことしかできない。
国を守り、国民の安全を守るという視点から議論がなされなければならない。国際政治の現実の前で、不毛な学術論争的な議論は役に立たない。このことが改めて思い起こされる。