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地方創生に向けて

先日地区の会合に出席した。新しい組織の設立準備委員会である。

会の目的や活動内容等の趣旨説明があった後、役員構成の議題となった。おそらく難航するのではと危惧していたが、案の定だった。

最近の地域の現状をみると、かってのようにいろんな人が関わり、活発な活動を展開していたことが遠い過去のこととなっているかのように、活動の担い手が固定化し、なかなか新しい担い手が登場しないなど、衰退の危機にあるのではないかという感を抱く。

社会構造の変化や経済生活の向上などを背景として、地域における人間関係の希薄化とともに、地域自体の役割に対する認識が次第に薄れてきている。

戦後復興期から高度経済成長期に向かう時代にあっては、お互いの「助け合い」がなければ生活が成り立たないといった事情があり、地域の構成員の「相互依存性」が色濃かったように思われる。

例えば共同で道普請をしたり、農耕や地域の共同作業などでは労力の拠出が当たり前と考えられていた。また、現代のように大規模な小売店舗もなく、生活に足りる量だけ必要なものを手に入れることのできる「まちの商店」が存在し、お互いの役割が明確に意識されていた。

「人」を介してモノや情報が手に入るという時代だったからこそ、「交流」が日常生活上当たり前のように生まれていた。

現代ではどうだろうか。経済力の向上は大量生産、大量消費という新たなライフスタイルを生み出し、必ずしも「人」を介さなくてもモノや情報を容易に手に入れることが出来るようになった。

社会生活を営む上でも、必ずしも「地域」に依拠する必要性が次第に失われつつある。近年における自治会加入率の低下は如実にこれを物語る。加えて最近のマンション入居者のなかには、こうした人間関係の煩わしさや自治会活動などを敬遠するがゆえにあえてマンションを求める風潮があると聞く。

しかし、地域コミュニティの衰退は様々な課題を生んでいる。かって、「安全・安心なまちづくり」が全国的に要請された背景に、地域の相互不干渉や相互無関心が犯罪者や不審者に付け込まれる一つの要因になっていることが指摘された。

加えて、3.11以後「災害を乗り越えるための」コミュニティの力が改めて見直されている。最近では長野県内の地震の際に、日頃からのコミュニティの結びつきの強さが迅速な安否確認につながり、人的被害の発生を食い止めたことが注目を浴びた。

今後日本は、2025年問題に象徴されるように超高齢社会に向かうと同時に、地方消滅の危機をはらむ人口減少社会に向かっている。これに首都圏直下型地震、3連動地震など、大規模災害の発生が確実視されている。

こうした現実を直視するならば、いうまでもなく地域コミュニティの再生は喫緊の課題であることは疑う余地がない。国がここにきてようやく「地方創生」を政策の柱として打ち出したことは、当然と言えば当然である。

過度の東京一極集中を排除し、地方において「人材の再生産」を可能とする仕組みづくりを急がなければならない。

東京一極集中というのは、いわば「人材の消費」という弊害であり、もはや東京圏では「人材の輩出」が限界にきていることを意味する。今や東京圏は、東京にあこがれる若者を飲み込む巨大な「ブラックホール」と化しているのではないか。

この課題意識から出発し、地方で様々な生活が完結できる仕組みづくりが急がれる。大きな困難が横たわっているとしてもこの国の未来のためには何としてもやり遂げなければならない。

そのための道筋としては、やはりそれぞれが自分の住んでいる「地域」から出発すべきである。「地域」から積み上げていかなければ、地方創生といっても砂上の楼閣に陥る危険がある。「地域から甲府を元気に」という私の政治信条にようやく日があたってきた感がある。

今年最後の池田公園清掃 今年最後の池田公園清掃