2015年が開幕して1週間。はたして今年はどんな1年になるだろうか。
昨年暮れに衆議院議員総選挙が行われ、自公連立政権が引き続き国政運営にあたることとなったが、超高齢社会への加速化と人口減少社会へとむかう日本社会が直面する課題が次第に明らかとなっている。
10年後には団塊の世代が全て後期高齢者へと移行する2025年がやってくる。いうまでもなく、社会保障ニーズが極限にまで到達する時代である。
政府が消費税引き上げを先送りしたことにより、社会保障制度の持続可能性を危惧する論調もある。また、人口減少を食い止めるための地方創生を今後の政策の柱に据えることも次第に認知されてきている。
こうした課題を前にした政治の役割も時代に即した実効性のある考え方に転換していかなければならないことはもはや疑いの余地がない。それは国政だけげなく地方自治の現場においてもまた然りである。
これまでの経済が順調に成長してきた時代にあっては、政治は生み出される「富の再配分」あるいは「公共財の再配分」をその役割として担ってきたといえる。その裏で「負担」についてはあえて意識させないよう心を砕いてきた。というより、生み出される富が圧倒的に多く、「負担」を持ち出す必要もなかったということである。
戦後日本が最大目標にしてきた国のあるべき姿、将来像が、かつての「所得倍増論」や「列島改造論」などに象徴されるように、右肩上がりの経済成長による「国民生活の豊かさ」に置かれてきたし、実際、成長の伸びしろは無限であるかのように経済成長を続けてきた。
その結果、「一億総中流」という経済繁栄を謳歌してきたのがバブル崩壊までの日本である。そして、「豊かさ」は欲しい商品がすべて手に入れることのできる「物質的な豊かさ」と同義ととらえられてきた。いわば「マネー資本主義」がその頂点に立ったのである。
しかし、バブル崩壊がその幻想を打ち砕く。もはやかつてのような「富の生産」は多くを望めない時代となった。加えて生活様式の劇的な変化は就業構造や社会構造まで変えている。少子化が顕著となり、やがて人口減少が現実のものとなって今後の日本に大きく立ちはだかる。
社会を支える現役世代が圧倒的に少なくなる時代にあっては、これまでの考え方を180度転換することを余儀なくされる。政治の役割も「富の再配分」から「負担の再配分」へ重点を移すべきだとする識者の見解も十分首肯できるものである。
消費税の引き上げ問題はこの「負担の再配分」の考え方に基づくものだ。それは単に国民にいわれなき負担を強いるものではなく、この時点で「負担のルール」を見直さなければ社会が崩壊するという課題意識である。
その意識転換、いってみればパラダイムの転換は、「豊かさ」の定義をもう一度見直すということにほかならない。GDPではなくブータン王国のあのGNHという概念、すなわち国民総幸福度の考え方に通ずる考え方への転換が今求められるのではないだろうか。
「モノ」によって得られる幸福感ではなく、人との交流によって得られる幸福感。そこにこれから立ち向かう課題の解決の大きなヒントが隠されている。
今年は、念頭から知事選、そして甲府市長選がある。いずれも現職が勇退を表明し、新たなリーダーが生まれることとなっている。これが終われば、4月にはいよいよ県議選、市議選である。私も3期目の挑戦をさせていただく予定である。
10年後、20年後の県や甲府市の未来を見据えて政策を立案し、実行する資質を持つこと。首長だけでなく議員にも求められるのは、この将来を「想像できる力」である。
将来のために今どういう手を打たなければならないか。そこには必ずしも「耳触りのいい話」ばかりではなく、「社会の持続可能性」のための「負担の再配分」を市民に説明することも必要となるだろう。
いずれにしても、開府500年やリニア新時代をもうすぐ迎える甲府市にとって、歴史的な転換点となる1年にしていかなければと、決意を新たにしている。すべてが「甲府の発展のため」にである。