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地方創生をめぐる視点

2月5日午前10時から、アピオ甲府にて市議会議長会主催の議員研修会が開かれた。

東京大学大学院の金井利之教授による「人口減少社会における自治体議会の対応」と題する講演を拝聴した。

昨年の「増田レポート」以来、自治体消滅という論点で人口減少社会がクローズアップされてきた。一方で増田レポートのいう地方消滅に対して、地域づくりの立場からの反論も多くあり、「人口減少社会」という今後の大きな課題について考え中ということもあって、興味深く拝聴した。

教授は、増田レポートの提起する地方消滅論とこれに続く地方創生に対する懐疑的な立場から論を進めている。

その出発点は、「人口減少」問題が果たしてマイナスイメージなのかという根本的な疑問である。確かに、現在の論調は、人口減少が「ゆゆしき問題」であることを当然の前提として、いかに歯止めをかけるかという技術論が大多数である。

しかし、こうした論調は裏を返せば、現在の人口規模がこの狭隘な国土面積に照らして「適正規模」かどうかという検証を抜きにして、当然のこととして現在の人口規模を維持すべし、という観点から出発している。教授はこれを20世紀の大量生産大量消費時代の「員数主義」の遺物と断じている。

これは、高度経済成長に始まる「右肩上がり」の時代を背景としており、社会を支える多数の担い手によって「永遠に」経済成長を続けることを追い求める考え方である。その中心は、飽くなき生活の豊かさの追求であり、経済成長による一層の「富」、いわゆるマネー資本主義的な価値の追求である。

ここで、人口減少に対する処方箋として、大都市圏に人口を供給する地方の衰退を食い止める地方創生という考え方が登場する。増田レポートは、「消滅自治体の出現」というショック療法で地方を元気にするための地方創生を政策課題として設定することに成功したとする。

教授の論調は終始、地方創生の考え方の根本に対する疑問の提示である。その点で、山下祐介氏の「地方消滅の罠」や小田切徳美氏の「農山村は消滅しない」等と軌を一にする。

地方消滅論に対する根本的な疑問の提示とは、今後も経済成長を続けなければならないとする、その経済成長とは、「日本」の経済成長であり、なかんずく牽引車は「東京」であるという考えが見え隠れすることにある。

そして、東京は地方から「人口」を吸い取り、消費し続けており、このまま人口減少が続けば供給源となる地方からの人口流入が枯渇することが危惧され、その結果日本の経済成長がストップしてしまう、だから、地方創生により地方を元気にしなければならないという、いささか強引な主張の展開に見える、としている。人口を再生産しない「ブラックホール東京」ともある。

こうしたことから、地方消滅論は地方創生を手段として東京を中心とした経済成長を持続させようとする「地方切り捨て論」につながりはしないか、という根本的な疑問が提示されているのである。

たしかに、地方消滅論の一面を見れば、東京一極集中を排し地方創生により少子化に歯止めをかけ、人口減少を食い止めようとしている。が一方で、地方中枢拠点都市といった新たな集積都市を提唱しており、ここに「選択と集中」という考え方を用いて効率的な公共投資を行うべし、としており、これは新たに地方ごとに東京に代わる高度集積都市を出現させることから、これでは単に「一極集中」の地方分散化ではないかという批判を招く結果となっている。

講演を聞き終えて、改めて地方創生を真に地方の立場で正しく読み解く必要性を痛感した。東京一極集中による経済成長の手段とされてはかなわない。消滅地域と宣告されてもそこに息づく庶民の営みは知恵を絞りながら今日までそしてこれからも連綿と受け継がれていくはずである。

右肩下がりの現代という時代に即応した考え方への転換、それはとりもなおさず、「豊かさ」に対する考え方の転換であり、マネー至上主義的な生き方をもう一度見直すことである。GDPを追い求めることからGNH(ブータン王国の国民総幸福量の考え方)へのパラダイムの転換である。

そして、地方創生という場合、真にこの地方で生きていきたい、と引きも切らずに人がやってくるような地域づくりを目指すべきであり、そのためのプレーヤーを発掘育成することも必要である。

都市機能の集積ばかりに目を奪われていれば、結局地方内部で「ミニ東京化」が進み、新たな問題が生じかねない。

ここでもキーワードは「人」であり、自分たちの地域を自分たちが誇りをもって築き上げていこうという担い手がいかに多く登場するかである。こうした地道に頑張る地域に光をあて、発信していく努力を怠ればそれこそ消滅地方の憂き目にあいかねない。

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