あの3.11から4年。地元富竹中学校の卒業式がこの日行われた。
卒業生たちの見事な別れのことばが大きな感動を呼んだ。合唱とセリフを織り交ぜた、入学からこの日までの一つのストーリー仕立てのパフォーマンスは、もはや芸術的である。
女子生徒は全員が泣いている。男子生徒も大粒の涙を流し、懸命に合唱する子がいる。新田小のころから見守り続けてきた子たちも皆あふれる涙を抑えきれない。
その顔はしかし輝いている。彼らのこれからの飛躍を心から祈らずにいられない。
伝統の合唱も年々洗練され、クオリティが極めて高い。一体感がそこにはあった。
校長先生からも、またPTA会長からも「桜梅桃李」の言葉が贈られた。いうまでもなく、一人ひとりの個性を尊重すべきという意味合いである。
以前PTA会長時代に私も祝辞で述べたことがある。あれから脈々と流れ続けてきた伝統を今実感し、感慨で胸が熱くなる思いである。
そして、午後2時46分。
忘れることのできない4年前の出来事が始まった時刻である。今なお2500人以上の方が行方不明である。
自然の猛威に茫然とし、無力感さえ漂った4年前。党の県本部に駆け込んで必死に宿の手配をお願いしにきた一関市からのビジネスマンの方をようやく空いていた宿に送り届けた車中で、無事に帰れますよう祈ります、と声をかけるのが精いっぱいだった。
折しも統一地方選の直前の時期。彼も甲府には何回も出張で来ており、知り合いも多いから選挙の応援をするよ、といっていただいたが、とてもお願いします、といえる気持ちにはならなかった。あの悲惨な映像を見れば。
大船渡市に親族が大勢いるそうで、なかなか連絡がとれないとおっしゃっていた。
その人からは、昨年の1月にもったいなくも年賀状をいただいた。ようやく再びの一歩を踏み出すことができたのだろうか。その歩みが力強いものとなるよう祈るばかりである。
自分に出来ることは何か。当時誰もがそう思っていたに違いない。
地震から1週間後に甲府駅前で街頭募金を行ったことも忘れることができない。新田小の卒業生にばったり出会った。もちろん見守りボランティアでずっと声をかけてきた子である。
いつも何かに反発しているようなその子が、顔を見るなり懐かしいといった表情を浮かべ、一緒だった彼氏に「募金しなさいよ」とせっついた。
彼氏もいやな顔も見せず、はにかむような笑顔で小銭を出そうとしたら、彼女が札の方を1枚抜いて募金箱に入れてくれた。こちらはもう少しで涙がこぼれそうになり、「ありがとう」というのが精いっぱいだった。
あの日の記憶は今も消えることがない、生命に刻み込まれたものとなっている。そして本物の人間と残念ながらそうでない人間がいることを残酷なまでに眼前に突き付けた。信頼していた人間が、色々指導とか言っていた人間が実は器の小さい偽物だったことがわかり、大きな失望感に包まれた。以後全く信用していない。
「ただ 何事もなく それでいい」来生たかおの名曲の一節がこれほどまでに胸をえぐることを今また思い出している。 見守りボランティアをずっと続けようと思う