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平和安全法制は本当に憲法違反なのか

再び参議院で審議されている平和安全法制について検証してみたい。

この法制を巡っては、衆議院での憲法調査会で参考人として意見陳述した3名の憲法学者がこぞって「違憲」との意見表明をして以来、法制に反対する学者の会をはじめ、反対する大学有志の会などが法案の廃案を求めて、ネット上で署名活動を開始するなど、ネット上を賑わしている。

さらに、学生有志の団体が国会前でのデモを行ったり、反対派の動きばかりが報道されている。野党もこうした動きを利用して国会審議のイニシアチブを握ろうと必死となっている。極めて滑稽な姿である。

これまでのこうした動き、そして衆議院での審議経過などを検証してみると、議論がかみ合わない点は次の2点にあるといってよい。

すなわち、1点目は今回の法制で自衛ための武力行使が認められる場合として規定された「密接な関係を有する他国への武力攻撃が我が国の存立を脅かし、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」が、これまでの政府解釈の範囲を逸脱するのではないか、という点である。

2点目は、我が国防衛のため活動している米軍等への後方支援及び、新たに国際社会の平和と安全を守るために活動している外国の部隊への後方支援のため派遣する自衛隊の活動が、自衛隊の「海外派兵」に該当するのではないか、という点である。

いずれも共通するのは、これまで以上に自衛隊の活動範囲を広げ、かえって紛争拡大のリスクや自衛隊員のリスクが高まり、憲法の平和主義の理念にそぐわない、という危惧にあるといえる。

1点目は、反対派の主張によれば、これまで政府解釈で否定されてきた「集団的自衛権」の行使にあたるから憲法9条違反であるという主張であり、極端な立場からは、解釈改憲だという非難である。

果たしてそうであろうか。これまで、「砂川判決」や「1972年見解」による議論の積み上げにより、憲法9条の下での自衛権の行使、すなわち自衛のための武力行使が極めて厳格な要件の下で認められてきた。国際法上も、いやしくも主権国家であれば固有の権利として、「自国を守る権利」を当然各国とも保有することは常識化している。

しかしながら、先の大戦の反省から我が国憲法は9条で戦争の放棄、武力行使の放棄、戦力不保持を対外的に宣言していることから、その整合性に腐心し、幾多の議論を経て先の結論に到達した。もっとも憲法学者の多くは、その結論に対しても反対のようであるが。

およそ他国からの不当な武力行使に対して、国の存立及び国民の権利を守る責任のうえから、これを実力排除することは主権国家として当然のことであり、諸外国から見てもこれを日本発の脅威ととらえる国はないだろう。国が滅んでしまえば、もはや憲法もその生命を終えてしまう。

歴史的に見れば、1972年当時の国際状況は言わずと知れた「東西冷戦」の時代であり、我が国も復興途上だったことから、自国防衛が中心であり、他国にまで行ってその国を防衛するということは、能力外かつ想定外であった。特に他国への自衛隊の派遣は当然諸外国から警戒されたことから、9条の下での自衛権は、「自国防衛」が限度であることは当然の認識として今日まで共有されてきたといえる。

しかしながら、兵器技術も格段の進歩を遂げ、また経済のグローバル化等により我が国や世界を取り巻く安全保障環境は激変し、冷戦終結後の国際関係の流動化による局地的な紛争、大規模テロなどが多発している。

こうした背景から、もはや1国だけでは自国の安全保障もおぼつかないばかりか、国際社会の平和と安全も国際社会が団結して対応していくことが益々求められている。

特に我が国は、9条の下防衛力は厳しく抑えられ、日米安全保障条約により米国の力を借りてようやく自国の安全確保が可能となる状態であった。この米国の力がなければ、たちまちのうちに我が国の防衛は破たんしてしまうだろう。

現に、民主党政権時代、当時の政策の失敗により日米関係に亀裂が生じかけた途端に外圧が連続して我が国を襲ったことは記憶に新しい。

このような米国の力を借りながら我が国防衛を行っている現状で、例えばパートナーの米国艦船が日本近海で不当な武力攻撃を受け、これを放置すれば我が国の存立に重大な危機をもたらすような事例は当然想定される。

この事態に立ち向かう「自衛権の行使」は、確かに国際法上の分類では「集団的自衛権」である。だが我が国防衛という範疇のものでもある。これを集団的自衛権行使だからといって形式的に「9条違反」といって排除するのは、あまりにも観念的な考え方ではないか。

ここに反対派の極めて看過できない感覚のずれを指摘するのである。自説の整合性のみを追求するあまり、現実世界と遊離する結論を導くのは、もはや学問としての有用性に疑いの目を向けざるを得ない。

今回法制で規定された武力行使の「新3要件」は、国際法上の整合を図りつつ、これまでの議論の枠内での根幹部分を受け継ぎながらのものであり、自国防衛の範疇を出ない。この点を意図的に無視することは許されない。

2点目の、自衛隊の海外派遣の拡大の点である。反対派はこれを即自衛隊の「海外派兵」とこじつけ、「戦争ができる国」にする法案だと非難している。

これは、武力行使を禁じた「後方支援」に限定している点を意図的に隠ぺいしている、たちの悪い「プロパガンダ」である。

かってPKO法制定の時も同じような非難があった。しかし、より一層国際社会が共同で紛争解決に汗をかくことが求められている今、こうした汗もかかず、自国の利益だけを追い求めるような国に対して、果たして国際社会はどう評価するだろうか。

たぶん「安全保障のただ乗り(フリーライド)」と一蹴されるだろう。現行憲法の下でも武力行使を伴わない国際協力は当然認められる。反対派が誤解する「集団安全保障」への武力参加ではないのである。米国の戦争に連れまわされるとか、政府の恣意によりいずれ変更されるなどというのは論外である。

今回の法制は、我が国の安全確保を前提に、より一層国際社会の平和と安全に貢献することにより、紛争の未然防止を目指したものであることは疑いの余地がない。武力行使に引き続き厳しい歯止めをかけ、憲法9条の下でのこれまでの日本の立場を改めてアピールするとともに、国際社会の平和と安全の確保にこれまで以上に取り組む姿勢を内外にアピールするものである。

この点を正しく認識し、まっとうな議論をしなければ、「一体日本という国は自国を守る仕組みも作ることができないのか」とか「狭い殻に閉じこもった鎖国状態に逆戻りするのか」と世界から言われかねない。