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だからこそ議会改革

あの「号泣県議」の一件以来、地方議員に対する世間の視線は、どこの議員も同じことをやっているのではないか、という不信感が増幅されたものとなっている。

そこに、再び地方議会に対する信頼を木っ端みじんに打ち砕く事件が明るみになった。言うまでもなく、富山市議会の政務活動費の不正受給である。
問題は県議会にも飛び火し、さらには政党の県連役員もが不適正な会計処理を行っていたことが発覚した。真面目に住民のため粉骨砕身働いている多くの地方議員に懐疑の眼差しが向けられないかと危惧を抱く。

最近、地方議会、議員に関する2冊の本を読了した。
一つは「トンデモ地方議員の問題」(相川俊英著)、もうひとつは、「地方議会のズレの構造」(吉田利宏著)である。

前者は、「議員」に焦点を当て、議員の質という観点から地方創生の一翼を担うべき存在としてそのあるべき姿を探る。
後者は、「機関」としての「議会」に焦点を当て、分権時代に即応した議会制度という観点から考察を加えるものである。
いずれも重要な視点である。往々にして地方議会、地方議員に対しては、「何をやっているかわからない」といった厳しい目が向けられる。

そこにきて今回のあきれるほどの議員の体たらくが全国に発信され、地方議員全体がいわれのない批判にさらされかねない。全くもって迷惑な話である。
議員としての最低限の質はやはり問われなければならない。議員の報酬や政務活動費は言うまでもなく原資は税金である。
間接民主制のもとでは住民からの負託を受けて住民福祉の向上、地域社会の発展のため働くことが求められるのが議員である。

特に政務活動費は議員に対する給与ではなく、議会活動や議員活動をより高めるための調査研究のために会派や議員に支給されるものである。
こうした政務活動費により資質を磨き、また先進事例等の調査研究を行うことは、当然その成果を議会活動等で市民に還元していくことが求められることは言うまでもない。

議会制度についても、そろそろ本市においても時代に即応した制度なのかについて考えるときにきている。
栗山町で初めて「議会基本条例」を制定してから10年が経過している。自治法による議決事項の拡大等の措置がなされてきたものの、肝心な部分については依然として不十分のままである。
市民の側から議会が何をやっているのかわからないといった声が寄せられるのも、現行制度の上からは当然と言えば当然である。

現行制度は「機関」であるべきにもかかわらず、これを実現するための規定が不十分である。
機関としての意思決定行為は「議決」であるが、はたして「機関の意思決定行為」にふさわしい手続きとなっているかどうか?
残念ながら、現状では、賛成あるいは反対といった個々の議員の意思表明の集合が「議決」となっている。

いってみれば、合議を経たうえでの意思決定とはなっていない。ここに大きな「欠陥」が存在する。
「機関」としての意思決定行為と言えるためには、どんな団体もおそらくそうであろうが、執行機関あるいは総会等で構成員がお互いに議論を戦わせその結果一定の内容を決定していくというプロセスがなければならない。

現行の議会には残念ながらお互いに議論を戦わせるという「合議」という制度がない。だから当然のことながら組織としての一体性は希薄であり、また帰属意識も薄れがちである。
これまで先進自治体議会が取り組んできた「議会改革」とは、実はこうした議会の「機関性の確立」ではなかったか。

とかく議員個人や会派ばかりに目が行きがちな中で、執行機関と対極にある機関としての議会の存立基盤を整備することは、2元代表制の本旨に合致する。
その象徴は言うまでもなく、議員間討議と議会報告会だろう。

前者は議決という意思決定を行う前提としての合議を実現するものであり、後者は「機関」としての議会が行う住民報告会である。
人口減少が進む中持続可能な地方議会を目指すうえでは、議会自身が知恵を絞り、自ら汗をかいて、より良き方向を模索する努力を今後ますますしていかなければ、いつの間にか取り残されないとも限らない。

時の流れはあまりに早い。

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