アダプト制度は公園や道路などの公共施設について、管理者と自治会などの民間団体との間で協定を結んで民間団体がボランティアで清掃管理を行っていく制度である。
もともと「養子縁組」という意味があり、公園等をわが子のように可愛がり大事にするというイメージである。
公共施設は本来設置者が一切の管理を行っていくものであるが、ゴミ拾いや雑草除去などついては設置者が直接行わなくても本来的な管理からは逸脱しない。従ってこの部分について外注することは特段問題はなく、かえって色々な面でコストカットにつながる効果が期待できる。
こうした観点から、地元自治会、NPOなどに清掃管理などを任せる事例は全国的に増えているが、初期の段階では公共施設は一切を「公」が管理するという意識からの脱却がなかなか進まず、ボランティアでの作業に理解が得られにくい、という状況にあったことは容易に推察できる。
特に「行政の責任放棄」「地域への押し付け」といった的外れの批判がかなりあった。行革という名を借りた不当な経費削減という声も聞かれた。当然アダプト制度へのアレルギーも生まれる。
しかし、現代的な意義から改めてアダプト制度をとらえ直すと、高度経済成長期、右肩上がりの時代につくられた公共施設について右肩下がりの現代の状況に即した維持管理の在り方として、アダプト制度があるということだ。
端的にいえば、公共施設はその設置されている地域にとってみれば一つの「財産」である。特に公園のようなオープンスペースは今後市内に整備される可能性は極めて低い。設置されている地域はそれだけでアドバンテージである。
であるならば、こうした公共施設をそれこそ「わが子のように」可愛がり大事にしていくことは、極めて意義深い「まちづくりのあり方」といえないか。
こうした公共施設に地域資源としての価値を認め、積極的に清掃管理を行おうという意欲にあふれた地域は、「自分たちの地域は自分たちで」という主体的なまちづくりの気概に満ちている。
少子高齢化という現代社会に大きく横たわる壁を打ち砕き、地域を再び元気にしていく方策として国を挙げての「地方創生」の取り組みがあるが、その前提は地域自らという主体性をいかに引き出すかにある。
「内発性」のまちづくり。すなわちだれに強制されるのでなく、地域を愛するパッションに裏打ちされた主体的な運動がこれから求められる。アダプト制度は今後もその試金石になる取り組みだといえる。
その意味で担い手の高齢化を克服し、いかにして次代の後継の担い手を育てていくか。地域創生の成功のカギはまさにここにある。
残念なのはアダプト制度が内発的なまちづくりにとって極めて有効な取り組みであることが未だに理解できず、いわゆる「依存意識」からの脱却が進まない事例があるということだ。