昨年は地方議会にとって再びの受難の年ではなかったか。いわゆる号泣県議によって地方議員に対する不信の眼差しが向けられた政務活動費の不正受給問題がようやく落ち着いた時期に、富山市議会の耳を疑うような政務活動費の不正受給が明るみになり、次から次へと辞職者が相次いだ。
一部の非行行為により全体が疑いの目で見られるのは極めて心外である。いずれの事案も全くの論外の事件であり、原資が税金であるという本質的な認識が全くなく、「選良」たる議員の資質が根本的に欠けると言わざるを得ない。
言うまでもなく政務活動費は、議員活動、議会活動のうえで必要な調査を行ったり、参考資料を購入したりするために充てられる経費であり、それによっていかに議会活動に活かしたか、という効果の検証が求められる性質のものである。適正に使用されることは当然の前提であり、当たり前の話である。
問題は、政務活動費の支出によって究極は市民福祉の向上、市政の発展にどれだけの成果があったか、が問われることをもっと意識すべきだということだ。
行政執行に費用対効果のコスト意識を求めるのであれば、当然議会側の経費である政務活動費についても同様のことが求められる。議会に身を置くものとして常に己を戒めなければならない。
政務活動費の問題とともに、本県県議会の「流会」事案も大きく取り上げられた。昨年2月県議会の最終日に、本来であれば上程議案全部について採決を行って閉会するはずだった。
が、議長の進退問題がこじれ、時間延長の手続きが執られぬまま結局流会となるという前代未聞の事態となった。28年度予算等の重要案件も議決されず、結局知事の専決処分によらざるをえなかった。県民からの批判が集中したのは言うまでもない。
こうしたことへの反省から、県議会では新議長のもと議会基本条例の制定を目指して現在作業を進めているという。報道によれば、前文に流会の反省に触れていないのはいかがなものか、という批判が散見された。
ただ、議会基本条例は議会の適正な活動を規律するという性質のものでは本来ない。別の言葉で言えば、議会の「暴走」を防ぐという「機能制限的」な発想はない。むしろ、自治法等ではいまだ十分とはいえない地方議会の権能、機能の充実を規定するという地方自治の本旨に基づくものである。
発想は正反対である。地方議会は首長とともに、住民自治、団体自治を具現化する重要な機関である。にもかかわらず、機関としての「議会」というには規定上不足する部分が多々ある。
代表的な例をあげれば、合議制機関というためには不可欠な「構成員の議論」の手続きがないことである。多くの先進議会が規定する「議員間討議」はこの趣旨である。
北海道の栗山町で初めて議会基本条例が制定されて10年が過ぎ、多くの地方議会で「議会改革」というメルクマールのもと条例が制定されてきた。危惧されるのは条例制定が目的化して制定した瞬間に議会改革を達成したような錯覚にとらわれることだ。
言うまでもなく議会基本条例制定自体はより一層の地方自治の進展のための「手段」であり到達点では決してない。要はこの条例によっていかに地方議会が合議制機関としての本来の機能を発揮し、どれだけ住民生活の向上、市政前進に寄与できたかである。
政務活動費と同様、明確な成果指標が今後ますます求められるだろう。信頼回復、失地回復のために議会人一人ひとりがどれだけの強い思いを持つかが問われる気がしてならない。
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