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次の時代へつなぐ

開府500年を2年後に控え、また10年後にはリニア中央新幹線が開業する。甲府は今大きな転換期に差し掛かっている。

リニアの新駅が甲府の大津町に建設されることが決定した時、大きな期待の渦が巻き起こった。一方で「ストロー現象」によりかえって衰退するのではないか、という危惧も多く聞かれた。

リニアを使ってあえて甲府に来ようとする人の流れを創るためには、より具体的なまちづくりのアクションがこれまで以上に必要だと考え、リニアをきっかけとしたまちづくりに特化した担当課の設置を提案し、これを受けて企画部内に専門の担当課が設置された経緯がある。

さて、期待通りの状況になっているだろうか。残念ながら少々危惧を抱かざるを得ない。違和感が大いにある。

伝統的なハード整備の概念にがんじがらめになっている結果、駅周辺の開発がどうあるべき、とか甲府駅への連接をどうするか、などリニアそのものに付加価値をつけるという、リニアに期待すると同時に半ばリニアが目的化しているような議論が非常に多い。

改めて留意しなければならないのは、リニアは単に「ツール」にすぎず、そのものが目的では決してない。別の言葉で言えば、「リニアを使って何をしに甲府に来るのか?」という視点からとらえていかなければ、一瞬のうちにストロー現象にやられてしまいかねない。

リニアが出来ればそれだけで人が押し寄せるなどとは幻想にすぎない。

重要なことは、リニア駅周辺の開発が決して甲府のまちづくりそのものではないということである。駅周辺だけで完結するようなことになっては、あえて県外からリニアを使って甲府新駅に降り立つ誘惑にかられないだろう。

むしろ一刻も早く名古屋、大阪へと急ぎたいと考えるだろう。人を惹きつける魅力ある甲府市でなければ、あるいは甲府へくる必要がなければ、決して甲府で立ち止まることは期待できない。

こう考えた時に、何をもって次の時代へつなぐ甲府のまちづくりとするのか。これまでの右肩上がりの経済状況の時代にあっては、道路や公園、商業施設などのハードをいかに整備配置するかということがまちづくりの概念であった。

しかし、人口減少局面を迎え既にインフラ新設よりこれまでのインフラの維持管理に多くのコストをかけなければならない時代には、以前の考え方を180度転換しなければ立ち行かなくなる。

東日本大震災の経験は、もう一度コミュニティの重要性を我々に思い起こさせた。自然の圧倒的な力の前に人間の作った構造物がいとも簡単に無力化し、呆然自失した。

その一方で、地域の共同体がお互いを支え合って大きな困難に立ち向かうことへの大きな希望が見えたことでもある。

この意味から、地域で暮らしていく我々の日々の営みそのものがまちづくりの中身であるべきだ。「日常性」が大きな意味を持ち、これが輝いているかどうかに人を惹きつける大きなカギが隠されているのではないか。

新駅周辺に集客施設をつくってもまた中心市街地に立派な商業施設を整備しても、はたして2度3度とわざわざリニアを使ってやってくるだろうか。

大都市には黙っていても人が集まる店がある。似たようなものをつくっても決して人は来ない。宇都宮の109の例が示すように、地方に首都圏にある施設を立地しても決してうまくいかないだろう。それは「わざわざ」くる必要がないからだ。

その土地に惹きつけられる人々はたぶん「人」との出会いがその根底にあるような気がする。きれいな風景も一度見れば飽きてしまう。我々人間が「関係性」に生きる動物だとすれば、やはり「人」がいるから面白いと感じ、再びやってくるのではないだろうか。

我々には大きな責務が課されている。次の時代につなげるためのわがまち甲府をどんなまちにしていくのか。ここでビビッドな人の営みをどうこしらえていくのか。メルクマールは「内発性」ということだけは明らかになっている。

課題はその内発性をどう引き出し、自分ゴトととらえるプレーヤーをいかに多く増やしていくか。開府500年は大きな節目になるだろう。

DSC_0206 これもわがまちづくり