11月19日~20日の日程で甲府地区広域行政事務組合議会の行政視察研修に参加した。今回の視察地は、新潟県糸魚川市及び同県長岡市山古志地区で災害からの復興についてご教示をいただいた。
初日は糸魚川市の駅北大火の記録とその後の復興まちづくり計画の概要についてである。
糸魚川駅北の大火は平成28年12月22日午前10時20分頃発生し、鎮圧が10時間半後、翌日の16時30分にようやく鎮火したものの、焼損棟数147棟、焼失面積4haと、師走のまちを襲った大規模な火災となった。
死者はなく、一般人2人、消防団員15人の計17人が負傷した。団員の多くは勤め人で、職場等から現場に直行した結果、装備が間に合わず、普通の長靴が飛び散ったガラスの破片でやられてけがをした等の状況もあったという。
出動した消防車両等は235台、出動人員は1,887人、このほか北陸地方整備局、糸魚川警察署、陸上自衛隊、富山県防災ヘリなどの行政機関の協力をはじめ、建設業、製造業、給油所関係の多くの民間事業者の協力があった。
住民への避難勧告も363世帯744人に対して発令し、翌々日に解除されたが、避難所は翌年1月5日まで開設された。
市では発災直後の12月22日13時に駅北大火対策本部を設置して情報の収集等にあたり、以後翌年6月29日に復興まちづくり本部が設置されるまで継続して対応にあたった。
支援適用法令は12月22日に災害救助法、12月30日に被災者生活再建支援法を適用し、被災者の生活再建への支援等に尽力した。
こうした思いもよらない大火となった大きな要因として、この日に限って南からの強風、最大で秒速27mの強風が吹き荒れ、その影響で火の粉が300mも離れた地点にまで「飛び火」し、以後連鎖反応のように飛び火により燃え広がったという。
出火原因は大型コンロの消し忘れというちょっとした不注意からだという。火がついたままその場を離れてしまい、気が付いた時は手遅れの状態だったようだ。
私も地元の出初式等では必ず、我々市民が出来ることは、戸締りや火の始末をしっかりすること、ちょっと気をつければ「人災」は防ぐことができ、その結果消防団の手を煩わせなくて済むという話をする。
市民一人一人が注意し合うことで防ぐことのできる災害もあるということを今回の研修で改めて実感した。
大火からもうすぐ2年が経過するが、現地では復興のまちづくりが急ピッチで進んでいる。
「カタイ絆でよみがえる笑顔の街道 糸魚川」という目標のもと、平成29年度から33年度までの5か年を計画期間とした糸魚川駅北復興まちづくり計画を策定している。
この目標を達成するために①災害に強いまち、②にぎわいのあるまち、③住み続けられるまち、という3つの方針が掲げられ、6つの重点プロジェクトの実施により復興まちづくりを推進している。
大きな災害に見舞われた事をきっかけとして、地域が衰退することも可能性としてある。現在、制度上は災害からの「復旧」すなわち被災前の現状に復帰させることに主眼が置かれているが、災害はハード面だけでなく、被災地域の住民に精神的なダメージを与え、希望も奪い取る。
復旧から復興へ、という一歩進める考え方が今後強く求められるに違いない。こうした希望の灯をともすことが、大災害を乗り越えるための大きな追い風になることは間違いない。