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長崎原爆の日に

今日8月9日は78年前に長崎市に原爆が投下された日である。本日付けの公明新聞でも被爆の実相を語り継ぐことという記事が掲載されている。

先月の会派視察で長崎市を訪れたが、最終日の午前中長崎原爆資料館と平和公園を見学させていただいた。高校2年生の時に修学旅行で長崎を訪れたときに、平和祈念像や浦上天主堂遺構、グラバー邸などを初めて目にし、また永井博士のことをお伺いして、強烈に胸に残ったことを昨日のことのように覚えている。今から約50年前のことである。以来、原爆というものへの恐怖とこれを兵器として使用するという愚かさを若輩ながらも感じてきた。

今回視察の最終に原爆資料館を訪問し、平和案内人の方に1時間ほど案内とご説明をいただき、1945年8月9日をスタートにこれまでの歴史を改めて学ばせていただいた。中でも、後遺症に悩む被爆者の方々の姿や、被災直後に現地に入った記録カメラマンが撮った一枚の少年の写真にくぎ付けとなる。こうした写真がきっかけで映っている方の身元が判明することが多いが、この少年の写真だけは未だに身元が分からず、被災地であることは確かだが、その場所の特定がなされていないことから、館内の所定の掲示場所に掲示されずに、出口付近に掲示されている。その少年は背中に、おそらく弟であろうちいさな子どもを背負い、火葬の順番待ちをしているのだ、との説明があった。積み上げられた薪や草を燃やして火葬されていく人々をじっと唇をかんで見つめているその姿は見る者をとらえて離さない圧倒的なメッセージを放っている。

しかし、残念ながらこれをイデオロギー闘争の具とした勢力があったと記憶している。自分たちの主義主張のためだけに、被爆国という事実を利用してはならない。
その後の平和公園内の広場前では、8月9日の式典の準備が始まっていた。遠くから平和祈念像を見たときに、核を兵器として使用することは絶対にやってはならないことを改めて感じた。核廃絶はどうしたら実現できるのか、現実的な取り組みをしなければ、核保有国がテーブルにつかない核禁止条約に現段階でいくら日本が批准しても、何の解決にもならないことを改めて強く感じるとともに、条約批准を政府に求めた議会の意見書が3度目にして採択されたことでバンザイして団体を解散するという行動にきわめて残念さを感じている。予想通り、結局目的は核廃絶ではなく単なる宣伝行為だったといわざるを得ない。踊らされた人多分あの賛成議員たちだが、仮にいるとしたら、極めて残念である。あの原水爆禁止運動が結局路線対立から混迷を深めたことをはからずしも思い起こさせる結果となった。誰が核廃絶を真剣に考えているのか、そんな思いの8月9日である。

平和祈念像遠景 平和祈念像遠景
原爆資料館パンフ(1) 原爆資料館パンフ(1)

原爆資料館パンフ(2) 原爆資料館パンフ(2)