北海道栗山町で議会基本条例が初めて制定されてから20年。これまでの議会観を根底から揺さぶるかのような新たな議会観が世に出たとき、受動的なイメージしかない議会が積極的に主張する能動的なイメージへのパラダイムの転換として驚きをもって迎えられた。
以降全国の先進的といわれる議会で制定が相次ぎ、これが議会改革と言われるものの主流の地位を占めてきた。自治体運営と言えば、首長による事業決定、これに伴う予算付け、条例制定など、行政府である首長の役割が光を浴びてきたといっても過言ではない。
おりしも、議会の存在意義に疑問が呈され、議会が何をやっているのか分からない、議会は必要なのか、という批判が向けられてきた。特に言論の場という議会に本来期待されていた役割を果たしえていないのではないか、という疑問が常に付きまとっている。
地方議会では、本会議が原稿の朗読会と揶揄されたこともあり、これはすべて法律の位置づけが今一つ明確でなかったこともその一因としてある。その課題解決のための一つの手法として登場したのが議会基本条例といえる。
地方制度では、首長の行政執行、特に予算執行は議会の議決がなければできない。それほど重要な役割のある議会の本来的意義が残念ながら理解されてきたとは言い難い。特に議論を可能にする制度が規定されていたとは言い難く、議決だけがことさら強調されていたといえる。
議決に至るまでのプロセスこそが重要であるにもかかわらず、これまでの法制度では討論、採決といういわば形式的な制度しかない。構成員同士の真摯な議論を通じた議決というプロセスがなかったといっても過言ではない。
20年が経った今、制度はこれを正しく効果的に運用して初めて生きてくるということが改めて浮き彫りになっている。基本条例は決してゴールではなく、市民のためのまちづくりの重要なツールであり、ようやくスタートラインに立ったというべきである。この認識から出発しない限り、議会はほんとうに市民のために役に立っているのか、という根本的な疑問に応えることはできないと改めて思う。