G-QCX3G9KSPC
閉じる

甲府タウンレビュー会議~第4回~

1月29日午前9時半から甲府タウンレビュー会議(第4回)を傍聴した。前回商店街対策についての「中間整理」をまとめ、関係機関に対してその内容の実現について要請を行ったところであり、今後中心商店街再生協議会という組織各主体が連携しながら対応を進めていくことが確認された。

今回からは第2クールとして、中心市街地活性化施策の必要性について改めて議論を進め、本年度で計画期間が終了する中心市街地活性化計画の「その後」について検討を行うこととされた。

この日の会議で、現在提案されているプロジェクト等について、報告がされた。その項目は(1)城を中心とした観光都市の提案、(2)甲府駅北口まちづくり委員会の取り組み、(3)甲府駅南口修景計画、(4)コミュニティ再構築を目指したまちづくりの提案、の4事例である。

今回印象的だったのは、今後の検討の方向性のなかで、「ハードを整備すれば、まちがよくなる、という発想はすでに通用しなくなっている」という認識が共有されたことである。また、「文化や人材育成という面から見た中心市街地の意味も大きい」とし、この側面からのまちづくりを考えていくことも了解事項とされている。

さて、どうすれば人が集まるまちとなるか。これが甲府だ、と内外に発信できるまちにするためには、どうすればいいか。タウンレビューチームのいよいよの議論の核心部分に入ってきている。歴史的な資源を活用し、「甲府らしさ」を体現することも必要であろう。が、甲府の歴史とは、と問われたときに誰もがアイデンティティを感じる歴史は、一体いつの時代のことを指すのか、このことだけをとっても議論は錯綜しそうである。

座長の発言が興味深い。明治維新のときに舞鶴城周辺の堀はほとんど埋め立て、徳川時代を想起させる事跡はことごとくつぶされている。これは、おそらく武田氏滅亡のシンボルであった徳川時代への恨みからのものではないか、ということである。

武田信玄の為政の基本理念は、民生安定にあった。城をつくるより釜無川の治水に力を注いだことからもうかがえることである。何よりも「民」ではなかったか。その象徴が武田節の「人は石垣 人は城」という一節である。甲府の歴史といった場合、やはり甲斐武田氏の時代が我々には命に刻まれているように思える。

こうしたことを考えながら、漠然とではあるが、「人の営み」こそがまちづくりのキーワードになるという思いがますます強くなっている。中心市街地というフィールドで、どんなプレーヤーがどんなプレーを見せてくれるのか、今後の議論の行く末にまた期待を膨らませている。

最近のコメント

表示できるコメントはありません。