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終戦記念日に

8月15日は終戦記念日。甲府市の議員団も公明党県本部前を皮切りに、市内6か所で各議員が街頭アピールを行った。

今年で68回目を数える終戦記念日。私は昭和33年の戦後生まれなので、戦争の実体験はない。しかし、幼少の頃からよく母親から終戦間近の頃や、終戦の日の様子を食事のたびに聞かされ、女性の目からのその悲惨な状況は今も焼き付いている。

ちょうど盆の最中なので、墓参りのたびに、墓標が嫌でも目に飛び込んでくる。昭和20年に父の弟が22歳で没、とある。父は多くを語らないが、「特攻隊」で戦地に散ったようだ。

子どもながらに、いつも言いようのない無力感に襲われた。なぜこの若さで逝かなければならなかったのか、という疑問と怒りにも似た感情がいつも湧いてきたのを覚えている。

大学時代になって憲法の歴史などを学ぶうちに、現行憲法の基本理念の先進的な意義に深い感銘を受け、特に恒久平和主義は卒業後30年以上たった今でも普遍的な価値を持っていると思っている。

しかし、子供の頃から抱いていた素朴な疑問がある。すなわち、この時期になると戦争がもたらす悲惨な状況は伝えられているが、「なぜ戦争をしなければならなかったのか」「どうして止められなかったのか」という疑問はいまだに氷解していない。これに答えてくれた者は周囲にいなかった。

そして、日本は唯一の被爆国である。何ゆえ「核」を兵器として使用したのか。戦争という異常事態の中での一つの産物なのか。最近読んだ「E=MC2」で、核が究極のエネルギーとして科学が到達した偉大な発見とされていたが、これを兵器に転用するという発想が生まれたのを見ると、人間の心に何らかのくさびを打ち込むことがより求められている。

終戦から68年たった今でも、紛争地帯は地球からなくなっていない。国内で民族同士の悲惨な争いをしているところもある。

「戦争ほど残酷なものはない。平和ほど尊いものはない。」相互不信がやがて大きな争いに発展することを考えれば、この原点にもう一度思いを起こし、「対話」を通して一人一人の心に平和のくさびを打ちたてていかなければならない。我々の使命はあまりにも重い。

終戦記念日は、来年もやってくる。
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