昨日、公明新聞の取材に同行して富士川町の雨端硯本舗「雨宮弥兵衛」さんにお邪魔し、13代目となるご主人から雨畑硯の歴史とこれを取り巻く文化について1時間ほどお話を伺った。
初代が1690年(元禄3年)に富士川の支流の早川の河原で拾った流石で硯をつくってから300年以上も続いている由緒ある老舗である。原材料となる粘板岩が非常に良質であり、その原産地の地名から「雨畑硯」という一流のブランドとして著名な硯である。
その屋号の「雨端」は、中興の祖といわれる第8代の時代(幕末から明治)に、時の元老院議員であった、東京帝国大学教授の中村正直氏にその技術と品質を高く評価され、「雨端硯」と号すことを賜ったことから、以後弥兵衛家で創作された硯は「雨端硯」の名で広く知られるようになったという。
現在の当主雨宮弥太郎氏は、幼いころから先代の父第12代雨宮弥兵衛氏の仕事に慣れ親しみ、「ものづくり」に対する興味を持ち続けてきた。祖父の第11代雨宮静軒氏は、犬養毅から教示を受け、父の弥兵衛氏は現代の名工として知られる、その道の第一人者である。
弥太郎氏は東京芸大で彫刻を専攻し、家業を継いでからも三越で展示会を開くなどこの伝統工芸を伝えようと心血を注いでおられる。ちょうど私と年齢も近い昭和36年生まれだが、もっと若い印象であった。
私も幼少の頃書道塾(当時は習字塾といわれていた)に通い、硯で墨をすり、毛筆で字を学んだことがあるが、硯といえばこの雨畑硯が優れていると先生からよく伺っていた。字を書く前に一所懸命に墨をすったものである。
しかし、「雨端硯」についてその歴史と300年以上にわたって伝統技術を伝えてきたことを恥ずかしながら初めて知り、あわせて弥太郎氏の話を伺って、その重みと物静かだがほとばしる情熱を感じとった。久しぶりに一流の人の話を伺うことができたと深い感銘を受けた。
仕事場にはよく遠足等で多くの子どもたちが訪れるそうだ。しかし、硯と墨で字を書くということを知っている子供はごくわずかだそうだ。なぜか?書道の授業もあるが、最近ではプラスチックの硯、そして墨汁で字を書くらしい。軽くていいとか、汚れにくいという利点があるそうで、なおかつ墨汁を使うから墨はいらない。時間も短縮できる。こうした状況を初めて知って驚いた。
時代劇などでは、大事な親書は必ず筆で巻紙にしたためている。辞世の句とかもそうだ。硯と墨で書をしたためる。これこそ日本らしさをよく表している伝統文化ではないか。
いつのころから、手紙をあまり書かなくなった。要件は電話で済ます。最近では電子メールの時代だ。必然的に硯で墨をすってということは書道家の世界のことのように追いやられている感がある。
利便性がどんどん進化していくこのスピーディな現代社会は、そのかわりにこうした日本が本来誇るべき伝統工芸、伝統文化を過去の「遺物」として片隅に追いやっている。手に入れたものも確かに大きいが、失ったものもはるかに大きい。
弥太郎氏の言葉が胸をえぐる。硯で墨をすって、筆で字をしたためる、その瞬間には心の安穏、豊かな感性に包まれる。そこには現代人が置き忘れてきた自分を見つめなおす瞬間がある。
さらに続けておっしゃる。この雨端硯という作品には、作者の人格がそのまま投影される。だから生きている限り自分を磨き続けていきたい、と。まさに道を究めようという一流の人ならではの含蓄のあるお言葉である。
郷土にこのような素晴らしい伝統技術が存在することを発見できたこと。後世まで伝えていくためには我々も何かしなければという思いが強くなったこと。改めて、利便性の追求よりもさらに大事なものがあると気づかせていただいた今回の取材。これから時間がかかるかもしれないが自分なりに答えを見つけていきたい。