今思い起こしたように「限界集落」に関する書物をひもといている。限界集落という言葉が注目を浴びたのは、平成19年のことである。提唱者の大野晃教授によれば、65歳以上の高齢者人口が集落人口の50%を超え、独居老人世帯の増加により、社会的共同生活の維持が困難になった集落が限界集落といわれている。
この言葉のイメージから、しばしばこれ以上高齢化が進行すれば、いずれ消滅してしまう恐れがある危機感を表現したものとして、「過疎地」に多く見られるという文脈で使われることが多い。もちろん、こうした事態を食い止めるために何らかの手を打たなければならないという警鐘を鳴らすものであるが、そこには「高齢化率」がマイナスイメージとしてどうしても強調されがちである。
しかしながら、今地域の現状を目の当たりにした場合、「高齢化率」だけで地域の「危機的な状況」を説明することは片手落ちの議論のように見える。65歳以上の高齢者が多い地域でも、元気に地域運営がなされているところも実際多く存在する。
地域が元気であるかどうかを決定づけるのは、高齢化率というより、意欲ある地域の担い手が多く存在するか否かではなかろうか。高齢化率が高くてもこれを凌駕するほどの地域づくりに燃える「地域建設の主体」がいるかどうかである。
こうした地域は必ずといっていいほど、「次の時代」を考え、後継を育てるよき伝統がある。自分たちのことだけを考えるのではなく、子の世代、孫の世代にいかにしてこの地域を引き継ぐのか考え行動する人材が存在する。
このように考えた場合、これからの地域づくりにあたって何が重要かが明らかになってくる。一番の問題は後継の担い手が次第に少なくなってきていることといえる。これは質的な点、すなわち「人」がいても担い手としてなかなか登場しようとしないという側面と、量的な点、すなわち少子化という側面があるように思われる。これに核家族化、共稼ぎ世帯の増加などや個人主義的風潮などが複雑に絡み合って、今日の地域の現状を生み出していると考えている。
「高齢化社会」ということに目が奪われがちであるが、社会の持続可能性という点からは、本質的な課題として「少子化」に歯止めをかける手立てをもう少し充実させることが必要ではなかろうか。世代サイクルと名付けたが、簡単に言えば常に次の世代、もう少し先の未来のことに思いをはせて地域づくりを行う行動様式ともいうべきものである。
10年先、20年先を見据えた対策を今この時点でしっかりと取っていかないと、地域は衰退はおろかそれこそ「消滅」の憂き目に遭わないとも限らない。限界集落論はまさにこのことを指摘しているものと改めて考えるところである。