これは、高次脳機能障害による記憶障害と正面から向き合いながら、希望を失わずに常に前を向いて、最後の瞬間まで懸命に生きぬいた一人の女性の物語である。
北海道放送の報道部取材班がずっと追いかけ、そのけなげに生き抜いた姿を一冊の本にまとめた。その行間からは、何としても自分の夢を実現しようというエネルギーに満ち溢れた彼女の姿が眼前に浮かぶかのように読む者を引き付ける圧倒的なパワーが伝わってくる。
17歳の時に交通事故に遭い、脳に大きなダメージを負い、もって1週間、仮に意識が戻っても植物状態は免れないと医師に宣告された彼女。奇跡的に意識を取り戻したものの、「高次脳機能障害」と診断され、記憶障害という重い十字架を背負う。しかし、不屈の闘志でリハビリに励み、車いすで生活できるまで回復する。
彼女を支えていたのは、世話になった恩師のような養護教諭になりたいという夢というより人生の明確な目標だった。闘病生活のため、同級生と一緒に高校を卒業することができなかったが、養護学校に編入して血のにじむような努力をして、念願の大学進学を果たした。結局ハンディのせいもあり、養護教諭の道は実現しなかったが、同じ障害を抱える人の支えになりたいと、「ピア・サポート」に取り組むNPO法人で働くことになる。
彼女をとおして、様々な人がかかわりを持ち、生きる元気をもらっている。その明るさ、そしてあらゆることに挑戦しようというひたむきさ。そして、彼女を乗せたタクシー運転手との運命的な出会い。
あらゆる困難や周囲の反対を押し切って結婚、そして妊娠、出産。猛反対していた、ご主人のお父さんまでもがいつしか大の応援団になる。彼女とかかわる人すべてを温かく照らしていく不思議さ。
しかし、運命は残酷だった。出産後に彼女を待ち受けていたのは、交通事故の後遺症、高次脳機能障害とは全く関連がない「急性妊娠脂肪肝」という病気である。妊婦の1万人に一人かかるかどうかというまれな病気だそうである。そのため、出産後10日目に残念ながらこの世を去る。これからという時に。
彼女の28年の生涯をとおして、いろいろなことを教えてもらった。希望を持ち続けて前を向いて生きることの大切さ。そして、何よりもどんな人とも「交流」のきっかけをつくっていこうという点だ。
印象的な出来事が2つある。彼女が大学時代アパートで1人暮らしを始めたときである。アパートの前に自転車が多数あって、部屋までの行く手を遮って難儀していた時、偶然通りかかった見ず知らずの青年に、部屋まで車いすを押していって欲しい、と頼んだそうである。青年は最初は戸惑ったものの快諾してくれ、「サポートが必要なときはいつでも声をかけてほしい」といって去っていったと。 そこには、何ものにも代えがたい「心の交流」がある。
また、バリアフリーの状況調査に同行した記者に語った言葉に大きな共感を覚えた。それは、「完璧なバリアフリーなんてなくてもかまわない」。記者が理由を尋ねると「完璧なバリアフリーがあったら、人の温かさを感じられなくなるから」と答えたそうである。
そこには彼女の人生観というか世界観が明確に表れていると感じる。すなわち、バリアフリーの思想が往々にして、「人」対「もの」という側面ばかりを見がちなことに対して、「人」対「人」、簡単にいえば、ハンディを抱えている人に対して「手助け」するという人の行為がなにより必要だということである。そこには温かい「心の交流」が自然に生まれる。
これこそ、これまでの経験から、自分自身が考えてきたことそのものである。構造物をバリアフリーにして、はい、ご自分でどうぞ、ではあまりに冷え冷えした社会になってしまうのではないだろうか。
人の手を借りる、また、手助けをする。ここに生身の人間対人間の交流が生まれ、これこそが温かみのある社会へと再生する一つのヒントではとその意を強くした。
この一冊の本が多くの人の目にとまり、そのけなげな生き方を一人でも多くの人に知ってほしい。それが今、自分にできるすべてである。