大家族制から核家族化へ、また職住一致から職住分離へ、さらにはいわゆる「個人主義的風潮」の蔓延など、我々の地域生活も次第に人と人とのつながりが希薄化していることは否めない。
かっての日本では地域内でお互いに関心を持ち合い、支え合っていくことが当然のこととしてそれぞれの生活にプログラムされていたように思われる。そこには一人一人が地域の一員として、自然のうちに「役割」を受け入れて生活を送っており、「コミュニティ」が強固に出来上がっていた。
こうした状況では「コミュニティ」のもつ様々な有益な機能が顕現し、またその中の人々もコミュニティへの帰属意識は当然の前提として無意識のうちに醸成されていたと思われる。地域への愛着心も純粋に各人の意識に深く根を下ろしていたに違いない。
さて現在の地域社会はどうであろうか。高度経済成長を経験し、生活水準も昔と比べるとはるかに向上し、「豊かさ」を満喫してきた。かって「1億総中流」といわれたほど生活も均質化し、個人個人が直接的にいろいろな財を手に入れることが可能となった。
一方で、あえてコミュニティを介さなくても生活が成り立つようになったことは、他者との関係性を次第に薄れさせていったことも否定できない。人の助けを借りなくても自分の「家庭」を維持できるようになったからである。
こうして、奇しくも右肩上がりの成長を続けていったことに反比例してコミュニティは右肩下がりに弱体化していった。これに少子高齢化や核家族化、共稼ぎの増加などがからむと現在の地域の状況となる。
甲府市でも年々自治会加入率が低下している。加えて、地域活動の担い手が高齢化し、「次の世代」がなかなか登場してこない。もちろん、職をもちながらこうした地域活動に専従することは困難である。現在の地域活動も業務量が増え、負担も増えていることも事実である。若い世代が敬遠するのも無理がないかもしれない。
しかしながら、東日本大震災を経験した今、改めて「地域」でのお互いの支え合いということがクローズアップされてきたように思われる。人間はどこまで行っても、他者との関係性のうえに生きているものである。地域と、あるいは社会と、そして他者との関係性をすべて断ち切って自分だけで生きていくことはおそらく不可能である。
経済もかつての右肩上がりの成長はストップし、行政的なサービスも無尽蔵に享受できた時代は終わっている。これからはサービスの限界を知り、新たに「適正な負担」へと時代の要請も変化してきている。また、かつての「モノ重視」から「心の豊かさ」へと価値観も移ってきている。
ここでもう一度「地域」という原点にたって考え、行動する必要性を見出す。もう一度「人」対「人」の関係性を構築していくべきではないか。それもまず自分の住んでいる「地域から」である。一人一人が地域の一員として、自分が地域づくりをしていくという「主体者」の意識、「当事者」の意識に立つことが今強く求められる。
そのためには、高邁な理論を振りかざすのではなく、「ともに汗をかく」すなわち「共汗」の具体的な「活動」が必要だ。そこに「共感」がうまれ、一人また一人と立ち上がってくるのではないだろうか。
共汗の活動により再び地域を「元気」にしていくこと。日本の衰退を食い止めるためにはまず「地域」からである。