2014年1月12日。明けて2週間が経とうとしているこの日、成人の日を前に、甲府市では「成人の日のつどい」が総合市民会館で開かれた。,
今年は、男女合わせて2,059名の新成人がこの日を迎えた。式典では、母から子へ「母子手帳の贈呈」が行われ、感動を呼んだ。印象的だったのは、新成人の代表2名によるメッセージだった。いずれも女性だったが、成人となったことの責任の重さと、これまで見守ってくれたすべての人への感謝、そして社会の役に立つ人材に、と力強い決意を披露していただいた。
こうした新成人の皆さんがこれから社会の、そして地域のフレッシュな「担い手」としてご活躍されることを願ってやまない。
この願いは、昨年成立した「社会保障制度改革プログラム法」で、これまでの活力ある社会を根底から変えていく、団塊世代の「受け手」への大量移行が本格的に顕在化する「2025年問題」への対処として「地域包括ケアシステム」の構築を目指すとされたことを目の当たりにしたとき、さらに強くなってくる。,
高齢者が住み慣れた地域で自分らしい暮らしを継続することができるよう、地域の包括的な支援・サービス提供体制の構築を目指すのが地域包括ケアシステムである。
「地域での生活」を可能な限り支えていく、という考え方は平成12年前後のいわゆる「社会福祉基礎構造改革」以来、福祉政策の基底に流れる考え方であり、「施設処遇中心による画一的なケア」から脱却するものとして、理念的には賛同されるものである。地域包括ケアシステムは、2025年問題を現前にして、これまでの地域生活支援を具体的総合的に実現するものであり、いよいよ「先送り」を許さない状況に日本社会が差し掛かってきたものと言える。
しかし、今この時点での地域の現状と次第に顕在化してきた大きな課題から目をそらすならば、せっかくの「理想的な」システムもいずれ機能不全に陥ってしまうだろう。
地域活動の現場の真っただ中に身を置く者であれば、すでに気づいているだろうし、その解決の道筋を暗中模索の思いで奮闘しているであろう「地域の現状と課題」。団塊世代という「社会の担い手」が一気に「サービスの受け手」に移行していく現在、その課題はあらゆる地域で一気に表面化していく可能性がある。
それは何か。いうまでもなく地域のみならず社会全般で、支える側すなわち「担い手」の急激な減少である。少子化、核家族化といった物理的な側面に限らず、個人主義と混同されがちな「相互不干渉」「相互無関心」という、伝統的な日本社会がもっていたある面「うるわしい」絆深き地域社会を瓦解させるような考え方の蔓延が、地域の課題解決力(地域力といってもいい)を次第に低下させ、結果として地域の活力を次第に失わせている。,
こうした地域の現状に追い打ちをかけてきたのが、「過度の行政依存」ではなかったか。これに気付いたからこそ今では「協働」のまちづくりというパラダイムの転換を推し進めているのではなかろうか。
地域でのケアシステムを確立するといっても、その担い手となるべき地域の人的資源は減少する一方であることを考える必要がある。このことは、例えば、甲府市の自治会加入率が年々低下していることからみても明らかとなっている。本年4月は地域の諸団体の役員改選期を迎えるところが多いと思われるが、いずこも次の役員人事で頭を悩ましているのではなかろうか。
こうした地域の現状を直視すれば、2025年までにはまだ時間的余裕があるように思われるかもしれないが、その時にはもはや手遅れの「瀕死」の状態の地域が続出しないとも限らない。
地域のケアシステム構築のためには、今横たわっている「地域の持続可能性」という大きな課題を何としても乗り越えていかなければならないと考えるのは、一人私だけではないだろう。