G-QCX3G9KSPC
閉じる

改めて中心市街地について考える

昨年3月の予算特別委員会の総括質問で中心市街地の活性化について取り上げたことが今も記憶に新しい。まち全体の発展を考える「私益から公益へ」という発想の転換を訴え、中心街の発展を考えて何かをしたいという「頑張る人」への支援にシフトさせていくべきことを主張した。

最後に市長から共感を寄せるコメントをいただき、また、地域の店を大事に守り育てることも必要だという本音も吐露していただいた。日常生活で必要なものは極力地域の店で買うといった消費者行動も、経済活動を前提としたシステムの中では高齢化が急速に進む時代にあっては大事な視点だと思われる。これこそまさにまちづくりの大事な側面である。

中心市街地も新たな活性化計画を策定しようとしている。ココリの問題や銀座ビルの問題というボトルネックを解消しようと議論がなされている。また、新年度予算には歩行量調査行うべく予算計上が行われている。
これらはいずれも何とかして県都甲府市の顔ともいうべき中心街を何とか賑わいを取り戻させ活性化しようという必死の努力をうかがわせる。どうしたら訪れる人が増えるのか、というのはここ数年の重い命題である。懸命にファサード整備をし、また核となる施設を誘致し、「まちの魅力」をもう一度よみがえらせようとしている。

ただ、忘れてはいけないのは、「まち」というのは単に建物を整備したり店を誘致したり道路をきれいにしたりするだけでは足りない。そこには必ず「人の営み」がなければならない。
こうした「人の営み」があって「まち」のリズムが生まれてくると考えたい。訪れる人は必ずしも商店で買い物する人ばかりではないはずだ。「まち」全体に「サードプレイス」すなわち、自宅や職場に次ぐ「第3の場所」を求めてやって来る人もいるだろう。ほっと一息つける、また交流を求めてやって来る人も少なからずいるのではないか。

訪れる人もこうした「人の営み」の中で安息を感じ、また来てみたいと思うのではなかろうか。ただ通り過ぎるだけの人がどんなに多くいても、はたしてまちのリズムはビートを刻むだろうか。

かって、バリー・マニロウというアーティストが「ニューヨークシティ・リズム」という曲を出した。いわずと知れた世界一といわれる大都会であるニューヨークに生きる若者の日常を描いた曲である。都会が奏でるアップテンポなリズムが胸をわくわくさせ、その中にただ身を置くだけで夢が次から次へと湧き上がってくる、そんなまちの魅力をうたっている。
そこには様々なまちの担い手のそれぞれの営みが全体のリズムを刻んでいることを表現しているように思える。そこに行けば新たな発見、新たな「交流」が生まれるというわくわくするような期待感がある。

ニューヨークのような大都会とは比べる由がないが、「交流」ということは重要なキーワードになると思う。サードプレイスを求めてやって来るなら、やはり「交流」は魅力的なメニューであり、これを後押しする「スローフード」の生活様式も最近注目を集めている。

ここのところ、昼に銀座通りに足を運んでいる。やまと銀座店の弁当が目当てであるが、その対面のうどん屋源さんにもこの間初めて入った。「吉田のうどん」を中心街で食べれるとは思ってもみなかったが、吉田生まれの私には郷愁を呼ぶのに十分である。聞けば夜中までやっているらしい。夜はだいぶにぎわいますよ、と店の人の話。
ここには、あえて中心街に店を出し、まちのリズムを生み出そうと頑張っている人がいる。中心街の既存のものの考え方では、ある面「よそ者」である。が、以前記したように、イノベーションの旗手は「若者、ばか者、よそ者」であるということから言えば、まぎれもなく中心街のイノベーションのフロントランナーである。

中心街の活性化を考える場合、こうしたまちを訪れる「顧客」の目線で計画をつくっていくことが重要ではないだろうか?いうなれば「トップダウン」よりも「ボトムアップ」の計画づくりであり、市民の側から巻き起こる運動としての活性化であるべきだ。
この点からすれば、単に中心街の歩行者数のカウントだけを行うのではなく、世代別に「何を求めてやってきたか」をリサーチするのも面白いのではないだろうか?

まちを甦らせるのもまた衰退させるのもいずれも担い手であり、究極的には市民である。中心街に限らず、自分の住んでいるまちをつくっていく「当事者」であることにもう一度思いをよせたい。

\"

最近のコメント

表示できるコメントはありません。