山鹿市での視察項目の2つ目は、「歴史、文化、景観を生かしたまちづくり」についてである。
実は山鹿市での視察のメインとしては、先に紹介した「やまが子育て浪漫物語事業」を考えていた。時間の関係も考慮してこれだけに絞ろうとも考えていた。が、参考資料等を眺めていたら、このまちづくりの取り組みが目にとまった。特に、歴史、文化、景観を生かしたまちづくりが一体どのようなものかをこの目で確かめたいという気持ちが強くなったのである。
甲府市の場合も、舞鶴城公園を中心とした歴史的な城下町の復興ということが議論されたこともあって、山鹿市がその「歴史」をどの時点のものととらえているのか、市民の共通認識としての「歴史観」が確立されているのかも知りたくなったのである。
山鹿市で説明していただいた資料によれば、古くから産業・文化・交通の要衝温泉郷として発展し、千年以上の歴史をもつ良質な温泉と夏の「山鹿灯篭まつり」で有名であり、また、旧豊前街道沿いには江戸時代の伝統を受け継ぐ国指定の重要文化財「八千代座」があり、現在も旧街道沿いに面して江戸期から明治・大正~戦前にかけての歴史的町並みが数多く残されている、とある。
こうした山鹿にとっての貴重な財産である歴史的・文化的ストックを保全し、かつ積極的にまちづくりに活用するため、平成7年度に通称「歴みち事業」に向けた調査、旧山鹿町地区町並み調査を行い、翌平成8年度にはまちづくり交通調査を行っている。歴みち事業は熊本県内では山鹿市の旧山鹿町地区の100haのみが指定されており、全国的にも数は少ない。それだけ、希少価値があるということである。
こうした、道路整備と町並み整備のセットで歴史を意識させる空間の創出に成功しており、その背景には、市の景観条例、これに基づく景観計画の裏打ちがある。
このまちづくりの重要なポイントはやはり「八千代座」にある。平成8年に大改修が始まったこの八千代座がまちづくりの方向性を決定づけているといえる。そこには、まちづくりとはどうあるべきか、を教えてくれる重要なサジェスチョンがある。
実は半年くらい前に読んだ、「わが街再生」(鈴木嘉一著、平凡社新書)の中に、全国のコミュニティシネマやFMラジオなどの取り組みとともに、芝居小屋の復興が取り上げられ、その模範的事例として、「八千代座」の復興が紹介されていた。山鹿市の担当者から説明を受けてようやくこの本で読んだことを思い出した次第である。以下、同書から八千代座の歴史を紹介したい。
八千代座は、江戸時代の芝居小屋の伝統を受け継ぐ明治末期の建築物であり、地元の旦那衆が「八千代座組合」をつくり、資金を出し合い建設した純民間施設である。杮落し公演は、岩井半之助、新井新之助らの大歌舞伎興行であり、その後芸術座の松井須磨子、映画スターの長谷川一夫、歌手の淡谷のり子など往年のスターが舞台に立ったが、戦後は映画館となり、1970年代前半に閉鎖された。傷みが激しくなったが、改修には莫大な費用がかかるため、80年に山鹿市へ寄贈された。
ここからがドラマの始まりである。愛着ある芝居小屋の窮状を見るに見かねた山鹿市老人クラブ連合会が募金活動を始め、わずか2か月間で500万円を集めた。その呼びかけは八千代座の瓦1枚のオーナーになろう、というものだったようで、「瓦1枚運動」と呼ばれた市民の熱意とパワーは八千代座復興の精神を表すものとして今も語り継がれている。
この復興資金が主となって87年、山鹿市は5万枚の瓦を葺き替え、翌88年には国の重要文化財の指定を受けることになる。伝統的な芝居小屋では、全国で3番目の指定だった。
こうした流れはその後、市民の手による「八千代座桟敷会」設立へと受け継がれる。発会式には永六輔やパントマイム芸人のマルセ太郎、さらには地元出身の宝塚歌劇団上月昇などが参加したそうである。
この、「市民から」という「下からの運動」の盛り上がりが、平成8年からの大改修工事につながり、山鹿市の歴史・文化・景観を生かしたまちづくりに結実している。この経緯を知れば、山鹿市民にとっての歴史とは何か、が市民の間で見事に共有されていることが分かる。江戸時代の銭湯の伝統を受け継ぐ「さくら湯」の復興もこの延長にある。
ここまで記せば、まちづくりが成功するか否かのターニングポイントがどこにあるかは、一目瞭然である。いうまでもなく、市民から巻き起こった運動であるかどうかである。決して「上から」押し付けたものではない。自分たちのまちは自分たちで、という「下から」の運動である。
この動きは、夏の「山鹿灯篭まつり」の3日間だけの賑わいと評されてきた街の様相を一変させ、見事に「まちの再生」を実現させている。
まちづくりの担い手、プレーヤーの登場をこれまで強く訴えてきたのは、運動自体が市民の間で理念として共有されなければまず成功しない、と考えたからである。山鹿市の取り組みは、改めてこの考え方を如実に証明するものと考えている。
紹介するのはここまでにしたい。あとは実際にその空間に足を運んでいただくことを願うだけである。それが、この再生ドラマを見せてくれた山鹿市へのせめてもの恩返し、と考えるからである。