G-QCX3G9KSPC
閉じる

10年後を想像すべきである

いよいよ25年度も終わり、新年度を迎えようとしている。4月1日。このところ連日マスコミをにぎわせている国全体の大きなトピック、消費税8%のスタートの日だ。

 報道では、消費税引き上げで負担がこれだけ増える、とか、引き上げ前に買っておいた方がいいおすすめ品はコレ、など、一様に負担回避に向かわせるかのような報道ばかりである。いつの間にか、「何のために」負担を求めるか、という重要な視点が消し飛んでいる。

 当面買いだめできる限りのまとめ買いに走る消費者の姿や、品薄になった商品の陳列棚、また駆け込み需要でにわかに仕事が急増したある業界の話など、少しでも負担を少なくしようという消費者マインドをくすぐる手法の連続に、正直辟易している。ニュースの製作者の視点がほとんど均質化しており、どのチャンネルを回してもほとんど同じ内容である。全く新鮮味がない。
 翻ってよく考えてみたい。我が国の少子高齢化社会は既存の社会保障制度をもはや維持不可能の状況にまで追い込んでいるのである。少子化は全く歯止めがきかない。高齢化はどんどん進む。もはや、社会制度の担い手が持ちこたえられないところまで来ている。これまでの負担水準で、増え続ける給付をどうやって賄っていくのか。

 10年後の2025年には団塊世代がすべて75歳以上の後期高齢者になる。その時には3人に1人は高齢者。社会保障の受給者ばかりが増えていく。現役世代の負担だけでは制度が破たんすることは、何年も前から分かっていたことであるにもかかわらず、なぜか口をつぐんでしまう人が多い。

 今回の消費税引き上げ分はすべて社会保障制度の持ちこたえのために使われる。年金、医療、介護、子育て、これらの制度維持を行うために使われる。だが、これで足りるとは到底思われない。社会保障ニーズは、超高齢化社会の急速な進行に比例して加速度的に増加する。依然として予断を許さない状況である。
 10年後を想像すべきである。社会保障制度が持続できているかどうかを。「自分の身に」降りかかってくる問題である。負担と給付のバランスが崩れてしまえば、もはや制度維持は不可能だということを「自分自身の問題」としてとらえていかなければならない。

 こうしたことを考えた場合、税の「とられ方」よりも「使われ方」を正しく伝えていかなければ、社会全体が誤った方向に向かってしまわないか。政治の役割もこれまでの右肩上がりの経済成長を遂げた時代の「富の分配」から「負担の分配」(北川早稲田大教授)へと変化していくことがまさに求められる。その意味で一連の報道に惑わされることなく、「何のため」の消費税引き上げかをもう一度再確認する必要がある。
\" 

最近のコメント

表示できるコメントはありません。