先日、クマに襲われた飼い主の危機に、自らの危険を顧みずクマに体当たりして飼い主を救った犬のニュースが流れた。相手は自分の数倍も大きいクマであり、一歩間違えれば命の危険が及ぶにもかかわらず飼い主を守った。
その勇気の行動に、最近の自衛権をめぐる議論がオーバーラップする。
犬に対しては直接の攻撃が加えられたわけではない。が、飼い主に対する攻撃は、この犬にとって自分に対する「急迫不正」の侵害ととらえたといえる。飼い主というパートナーを失えば、この犬の生存も危うい。
そして、犬の行動は自衛権の行使として他にとりうる手段がない中での必要やむを得ない措置である。
まさに今回の自衛権行使の問題と同じではないか、犬は自分に攻撃が加えられていない状況で、飼い主という密接な関係をもつパートナーに対する攻撃を排除した。これこそ今回の閣議決定で明確化した自衛権行使の問題である。
国を守り国民を守るということは、非常に重い。その任に当たる政権は、現実の国際政治の中で、最悪の事態の「想定」も行い、その備えも考えておく責務がある。
もちろん、普段の外交努力を怠ることなく、良好な国際関係を維持していく必要があることは言うまでもない。しかしながら、世界では現実に紛争地域がある。また国際法秩序を無視した行動をとる勢力が今後発生しない保証はない。政治にリアリズムが必要というのはこのことを指し、リアリズムに基づく危機管理体制はどの国もしっかりと構築している。
こうした中で、仮に不当かつ理不尽な武力攻撃を受けた時にどう対処しなければならないか。もはや「話せばわかる」状況ではない。国連の安保理決議に基づく集団的安全保障措置を待てない緊急事態である。
こうした不当な武力攻撃を跳ね返すための当面のやむを得ない手段が「自衛のための武力行使」である。これは9条にいう「国権の発動たる戦争」でもないし、「国際紛争を解決する手段としての武力行使」でもない。
反対論者がこの区別をせずに武力行使をすべて戦争に結び付けて非難しているのは、解釈として明らかにおかしい。憲法で禁じているのは、こちらから先制攻撃を加える武力行使であり、これこそがまさに「戦争」である。
政府が想定した事例に、戦闘状態にある国から邦人を国外脱出させ日本に帰国させる場合の想定があった。民間の航空機や船を使うことはできない。ましてや自衛隊は戦闘地域に赴くことは現行法上禁じられているから、どうしても友好国にお願いするしかない。
おそらく友好国の艦船に邦人を乗せて日本まで送り届けてもらうことになる。この艦船が攻撃を受けた時に、はたしてこれを「集団的自衛権」に該当して禁じられているからといって、我が国が守らなくていいか、という問題提起である。
これを集団的自衛権だから自衛隊は攻撃されても手を出すべきでないとするならば、おそらくどの国も我が国からの救援依頼を断るだろう。なぜなら、自国の艦船が危険な目に遭っているのに助けないような国を守る筋合いはないからである。自分でどうぞお守りなさいと冷たく突き放されるだろう。
そうすると、自衛隊は直接戦闘地域へ行けない以上、あとは現地に残された邦人が自助努力で日本に帰ってくるしかない。運よく帰れることを祈るしかないことになる。
(‘反対論者の一部に、自衛隊を危険な目に遭わせることにつながるから、というのがある。だが、日本国民を守る友好国の部隊はそれ以上の危険な目に遭うことが一方で重い事実である。この点は度外視できないだろう。
政治は時として過酷なリアリズムの試練にさらされる。これを乗り越え、「国を守り国民を守ること」には非常に重いものがある。「一国平和主義」は現下の国際情勢のもとでは、もはや維持できない考え方であることにそろそろ気付くときが来ている。