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ふとした疑問

7月1日の閣議決定から1週間以上が過ぎ、「歴史的大転換」と一部騒がれた割には世情は落ち着きを見せている。

しかし、依然として今回の閣議決定を「集団的自衛権」行使決定というラベルを貼って、自衛隊の海外派兵を容認した、とか他国の戦争に巻き込まれる道をひらいた、といった、明らかに閣議決定文を読んでいないとしか思えない論調もくすぶっている。

「集団的自衛権」についての国際法上の意義と我が国憲法下における位置付けについて明らかに誤解している主張をそのまま無批判に援用して、短絡的に「戦争へ」 と結論付ける考え方に、率直な疑問がわいてくる。

そもそも、集団的自衛権、個別的自衛権は、国連憲章でどのように位置付けられているか。2度の世界大戦を経験し、実効性ある世界秩序と平和の創出に世界の英知を結集して出来上がった国連である。

そこには、紛争の発生予防とその解決のための仕組みが創られている。すなわち、大前提として、各国に対して他国への武力攻撃をまず禁じている。この戒めを破る国に対しては、よく聞かれる「国連決議」によって武力制裁を含む制裁措置を「世界の総意」として発動させる。当事国同士による解決に丸投げしていない。

しかしながら、「国連決議」発効までにはどうしても時間がかかる。それまでの間の「例外的措置」として先ほどの「自衛権」が武力攻撃を受けた国に認められている。

国連の役割は何と言っても世界平和の実現である。普段からの良好な国際関係の創出がその本来の在り方であることは間違いない。だが、現実の問題としてこうした国際ルールを破る国の出現を「想定」して紛争解決の仕組みを用意している。

それが、究極的にはいわゆる「国連軍」を中心とした「集団的安全保障」というシステムである。未だ国連軍は実現されてはおらず、かつての湾岸戦争の際には「多国籍軍」を組織して対処したことは記憶に新しい。

さて、国連憲章に規定されている、この「集団的自衛権」は我が国憲法下では、これまで見てきたように昭和47年政府見解によって自衛の必要最小限度を超えるとして、その行使は否定されてきた。

当時の世界情勢は現代と明らかに異なっている。東西冷戦のさなかであり、武力紛争も「西側体制」対「東側体制」の争いが想定され、自国防衛という観点よりも両陣営のシステム防衛的な捉え方であったように思える。

しかも現代のようなグローバル化や兵器技術の進歩はまだ進んでおらず、紛争も「局地的」すなわち、他国領土への直接的攻撃が主に想定されていたのではないか。

こうした状況下での政府見解は当然「集団的自衛権」も攻撃を受けた他国領土に行ってその国領土を防御するというイメージだったはずである。こうした、「体制防衛」的な、「他国派遣型」の集団的自衛権行使が否定されたことは、端的にいって平和主義憲法をもつ我が国では、「他国防衛」ではなく、「自国防衛」という観点での自衛権が解釈によって認められてきたということである。

ここで見落としてはならない視点は、自国防衛という概念は、「我が国の存立及び我が国民の生命、自由その他の平和的に生存する権利」に向けられた武力侵害を実力で排除するという点である。

集団的自衛権行使が否定された理由は、当時の国際情勢及び我が国の立場に照らし、他国防衛が、この「我が国の存立及び我が国民の生命、自由その他の平和的に生存する権利」への直接的な侵害を排除するとは認められないために、否定されたものであろう。

この点が見落とされ、「集団的」か「「個別的」という単純なカテゴリー化の議論が一般化し、「集団的」と名のつくものは一切が否定される、というレッテル貼的考えが蔓延したものだと考えられる。

今回の閣議決定が、「我が国の存立及び我が国民の生命、自由その他の平和的に生存する権利」への侵害かどうかを要件としているのは、まさにこの点であろう。

そして、さらに重要なことは、政府は、国民のいのちと暮らしを守る重い責務を負っていることである。あの原発事故の際、国民のいのちと暮らしを守るためには、あらゆる事態を「想定」しなければならないとされ、「想定外」ということが国中から大ブーイングを受けたことを忘れてはならない。

今回の閣議決定は、あくまでも万が一の事態を「想定」して必要な備えをしていくという発想である。当然のことながら、あらゆる外交努力を否定するものではない。こうした努力を重ねてもなおかつ現代の国際情勢のもとでの想定される事態への対応であって、これが直ちに、政府は自衛権行使が原則的考えといっているに等しい論調に結び付けるのは、いかがなものかである。

国をそして国民のいのちと暮らしを守るということについて、この時点で深く考える必要があるのではないか。万が一の事態も想定しつつ、なおかつ、こうした自衛権行使が必要なくなる社会へと変えていくことが理想であることは当然だとしても。

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