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ボランティアを考える

11月13日午前、甲府市役所1階市民活動室で開催された、「心の健康ボランティア雅の会」の10周年記念フォーラムをのぞいてみた。

同会は、桜林会長さんを中心に、市内の小学校で読み聞かせや放課後児童クラブでの交流事業、防犯紙芝居や環境紙芝居など、様々な活動を行ってきた市内でも有数のボランティア団体である。

式典終了後、県立育精福祉センター成人寮の塩沢施設長の講演「ボランティアとはなにか?」を拝聴した。

同氏は県庁の障害福祉課在職中にともに仕事をした「戦友」ともいうべき方である。氏が福祉関係で仕事をしようと決意したきっかけが、学生時代にある知的障がい者施設と出会ったことにあるとのこと。

障害を持った方と初めて出会い、その生き生きとした姿に驚きと感動を受けたそうである。大学で「カビ」の研究を専攻していた同氏が福祉の世界に飛び込んだということを初めてお聞きし、もともと福祉の専門課程を修了した方とばかり思っていたので少なからず驚いた。

現在、県のレクレーション協会とも関わりを持ち、また傾聴ボランティア活動も熱心に展開、自殺予防のゲートキーパー養成講座にも携わるなど、幅広いボランティア活動に携わっておられる。

今日の講演も巧みなトークで会場の笑いを誘いながら、ボランティア活動の重要性を講義していただいた。これからの時代、行政がカバーすべき部分はこれ以上拡がらず、市民の力がますます求められ、従って、これまで以上にボランティアの要請が高まるといわれる。

ボランティアが一般的に拡がったきっかけはやはり阪神・淡路大震災だろう。そして近年では3.11の大震災が再びボランティアの機運を高める要因となった。

ボランティアはおそらく人間精神の復興を促す極めて「人間的な」行動と捉えられるだろう。人と人とのつながりを新たに生み、また深める大きなうねりを起こすものと考えている。

しかしながら、同氏も指摘するように、活動の継続性をいかに確保するかが宿命的な課題であるといえる。

かつて障害福祉課時代に痛感したのが、福祉の世界における「支援」とは「人間性の自然の発露」としての行動ではないか、であるならばそれは「事業」として展開されるのではなく、例えば朝起きて顔を洗う、歯を磨くといったような、当たり前のようになされる日常生活行動であるべきだ、ということである。

そしてこれはボランティア活動にも当てはまると今でも考えている。

今、新田小・児童見守りボランティアの会の代表として会員のみなさんと児童の見守り活動をずっと行っている。当初から見守り活動は「特別な事業」としてではなく、日常生活の一部として考えてほしい、と訴え続けてきた。

いうまでもなく、特別な事業としてとらえる限り、どうしても「気負い」が生じがちであり、やがて「負担感」へと変わってしまう。平成17年当時のあの痛ましい事件の続発をきっかけに各地で見守りボランティア組織が生まれた。が、残念ながら休眠状態に陥った団体も少なからずあるようだ。

その背景には、おそらく負担感とその後の平和な状況がもたらす見守り活動の必要性が次第に意識から遠のいてしまったことがあげられると思われる。「長続きさせる」ことのむずかしさがここにある。

あの3.11でさえ、時の経過とともに風化が危惧されていることからも、ボランティアは「事業」としてではなく我々の日常生活活動としてとらえなおすことが今まさに求められるのではなかろうか。

幸いにも、我が団体はこうした危機を乗り越え、今は皆さんが当たり前のように見守りをしてくださっている。実にありがたいことである。

そのかいもあってか、昨年は「安全・安心なまちづくり知事賞」をいただくことができ、今年は学校安全・学校保健の分野での文部科学大臣奨励賞をいただいた。

今日の塩沢氏の講演を聴きながら、改めてボランテについての考え方が決して的を外れたものでないことを実感させていた。
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