先日、ある方から議員の果たすべき役割についてご意見を伺う機会があった。氏は、議員であれば眼前の市民生活の課題解決よりむしろ甲府市の将来をどういう方向に持っていくかに力を入れるべきだ、という主張をされていた。
将来を見据えたグランドデザインを描けるような議員たれ、という意味だと思うが、少し穿った見方をすれば、チマチマしたことよりもっと大きな仕事をすべきととらえられる。
これを聞いたとき、正直大きな違和感を感じた。将来像をしっかり描くことは重要なことであり、否定はしない。しかし、「今という時」をさておいて将来ばかりに目を向けることは、現実的でない。単なる「ユートピア論」に終わる危険がある。
「将来」という時は「現在」という時の延長上にある。「将来」を希望あふれるものにするためには、「現在」にその因を創っておかなければならない。「現在」の課題解決から目をそらせて「将来」だけをなんとかしようとしてもうまくいくはずがない。
そして付け加えていえば、その「将来」というものも「市民にとっての」将来である。であるならば、現在の市民生活上の課題解決の延長上に将来の希望あふれる市民生活があるはずである。
だから、私は市民の皆さんがあるいは地域の皆さんが今現在抱えている課題の解決に一緒に汗をかくのが議員の役割であり、これからもその考えは変わらない、ときっぱりと申し上げた。多分気を悪くしたかもしれないがこれが自身の政治信条である以上曲げることは到底できない。
例えば、人口減少問題があり、将来的にいつかの時点でその歯止めをかけなければならないが、現在眼前に横たわっている課題、すなわち子どもを産み育てることのできる環境をよりいっそう整備するという課題を解決しなければ人口減少に歯止めがかからない。
そのためには、若年層の雇用の拡大と所得の増加、就労しながら子育てもできる保育所などの基盤整備、あるいは所得がそれほど多くない若年層のための住宅の提供、など定住人口をより一層増やす政策を打たなければ人口は増えない。
いってみれば、将来を見据えて今打つべき手を打つ、これを課題解決といっているのである。
8日に知事候補の後藤氏の出陣式に出向き、候補から「課題解決型」県政の実現という所信表明を聞いたとき、まさにその通りだと思った。
政治は国民のためにある。当然の原理である。国民生活を離れたところに政治はありえない。地方においても然りである。何のための議員か、と問われれば、当然市民生活の様々な課題解決に奮闘するのが議員であると答えるだろう。
だからこそ我々は市民との直接対話により、その課題を把握し、その解決のための政策という次元まで高めて議会で提言し、一つ一つ解決に導くために働いているのである。それは議員に課せられた責務であり、逆にいえば議員にしかできないものである。
2期目の任期も3か月余となった。3月には再び代表質問の壇上に立つ予定である。1年前の3月議会のようにまた地域の課題も取り上げ、懸命に地域づくりに取り組む方々を宣揚しようと思っている。