地方自治ジャーナリストの相川俊英氏のルポルタージュ「奇跡の村」を興味深く読み終えた。副題が「地方は人で再生する」である。
同書で氏は、人口減少、超高齢化の局面の中で、10年後、20年後の将来を見据えた地域づくりに懸命に取り組み成果を上げている3つの事例を紹介し、そこに共通するキーワードを見事に描ききっている。
表題ともなった最初の事例は、長野県下條村。人口わずか約4,000人の「辺境の山村」が合計特殊出生率でかって2.04を記録し、今でも全国トップクラスの出生率を誇っていることに、全国からの視察が後を絶たない状況という。
そこには、ぬるま湯体質の役場の職員の意識を転換し、少数精鋭の「働く集団」へと改革するとともに、住民のこれまでの行政依存体質を、「自分たちで出来ることは自分たちでやってもらう」という真の住民自立へと転換していった、村長の存在があった。
村長就任後に行った、職員の民間企業への研修派遣制度、これにより職員の意識変革に成功し、行財政改革も徹底して行い、財政状況の好転をもたらす。
職員が一人で何役もこなすようになり、自然人件費が削減される。そして、何より示唆に富むのが、「資材支給事業」とである。
各地域では道路や水路の補修、改良などの土木工事の需要が根強くある。これまでは行政がやるべきものという考えが支配してきた。全国どこでも同じ状況である。
しかし、小規模な工事まですべて行政がやらなければならないとすると、限りある予算の下ではどうしても、受益者が多い大規模工事が優先され、小規模工事は後回しになり、自然いつまでも順番が回ってこない結果となる。
そこで村長の発案で、必要な資材を地域に与える代わりに地域自らがいわば「普請」という形で工事を行う方式を導入した。当然地域からの反発は強かった。「行政の責任放棄ではないか」と。
しかしこれが目覚ましい効果を上げることになる。まず公共事業で行政が行う場合に経費の大きなウェイトを占める労務費の削減が実現、自然経費の削減につながったこと。
また、古くからの共同体の公共作業の伝統「道普請」の考え方である、住民自らが一緒に汗をかくということが、自然と地域コミュニティの強化につながったこと。
こうした一石二鳥の効果により、村の財政の好転と地域自らが課題解決にあたるというまちづくりの原点が共通認識として浸透し、これが、平成の大合併を拒否して自立の道を歩むことにつながる。
もう一つの興味を引く施策が若者向け集合住宅の自主財源による建設である。普通、自治体が公営住宅を建設する際は国の補助金をもらい、なおかつ起債によって一時的に多額となる資金需要に対応し、残りを一般財源により負担する、というのが一般的である。
ところが下條村はそうしなかった。なぜか?答えは簡単である。国の補助金はその交付条件にがんじがらめとなり、独自の入居基準を設けることができないからである。
下條村は、村単独で建設を行うことにより、村に定住する若者世代に住居を提供する入居基準を定めることができたのである。
その入居基準は、①子どもがいる世帯、またはこれから結婚する若者に限定し、②祭りなどの村の行事への参加や消防団への加入、③そのうえで、入居審査会で入居可とされた者、である。
こうして、若者世代、子育て世代に安価な住宅を提供し、なおかつ子どもの医療費の無料化、給食費の補助、出産祝い金の支給など、ありとあらゆる支援策を講じて、いまや最も子育てがしやすい村という評判が定着し、冒頭の高い出生率へとつながっている。
下條村のこうした驚くべき施策は村長の強力なリーダーシップによるところが大きい。私が一貫して主張している「パラダイムの転換」に通じる。まさに「人」がまちづくりのカギを握るといってよい。
(‘2番目の事例の群馬県南牧村。あの増田レポートで消滅可能都市トップとされた村である。
かってコンニャクの産地として栄え、一時、上信鉄道も延伸する計画まであった村だが、コンニャクの生産技術の進歩から平坦地での栽培が拡大するにつれ衰退化の憂き目にあっている。
急速に過疎化が進む村の衰退を食い止めようと、様々な行政サービスの充実を図った。もちろん医療費の無料化や結婚、出産祝い金の支給、定住奨励金など、子育て支援策も考えうるあらゆる措置を講じてきた。
しかし、結果が出ない。そこにはサービスあれど雇用なし、という生活の基盤を支えるだけの資源が脆弱だったことが大きな要因とされている。
こうした村の状況に危機感を募らせた若者が立ち上がり、商工会の青年部メンバーたちと「明日の南牧を創る会」が結成された。その活動の中で生まれたのが「古民家バンク」である。
全国の地方都市が抱える空き家問題。南牧村も例外ではない。創る会は村内の空き家をつぶさに調査し、若干の補修を加えれば十分住める空き家が多いことに気付く。
これを村外からの移住者に安く貸し出す。古民家というブランドに高め、南牧の自然環境のなかでのスローライフの実現といった側面もあり、この土地ならではの戦略と言える。
この土地に自分のやりたい農業を求めて移住者が現れる。もちろん地元の旧来の農家は大歓迎である。いろいろなノウハウの伝授からはたまた新しい花き農業の展開など、「風の人」「土の人」という滋賀の地域づくりの考え方がそのままぴたりとあてはまる。
ここでも、「人」と「人」の関係性の再構築が消滅可能都市のレッテルを跳ね返す大きな原動力となっている。
最後の事例が、旧神奈川県藤野町である。
現在は、相模原市との合併により同市に編入されているが、これまで「人の誘致」が町の政策とされ、様々な芸術家が藤野町に移住している。アートの棲むまち、とうたわれてきた。
その中心を担ってきたのが役場の若い職員である。当然バブル経済の時代には、開発志向の政策が中心であった。その時代にあって「人」に焦点をあてようという自治体は全国でもほとんどなかった。
最後は若い職員の熱意が町を突き動かした。その選択がこの人口減少、超高齢化時代にあって、方向性が決して間違っていなかったことを裏付けている。
小中一貫教育のユニークな教育方針で知られるシュタイナー学園の誘致も廃校を活用して実現した。反対もかなりあったようだが、事務局長に情熱あふれる教員経験者が就任し、現在ではこの教育を求めて家族で移住してくるケースも多くなっている。
また「トランジション・タウン」運動も生まれている。イギリス発のこの住民運動は、「大量の化石燃料などに依存しきった脆弱な社会」から「地域をベースにした様々な変化にしなやかに対応できる社会」への移行を目指すものとされる。
その具体的な形は、「地域のつながり」を取り戻し、地域レベルでの食やエネルギーの自給自足を少しずつ増やしていこうという住民運動である。
これまでも「経済の地域内循環」という形での地域の再生を学んだことがあり、その基本的な考え方は同じである。地域づくりといえばもはや「人」の再生、育成がその眼目に据えなければならないことをここでも示唆している。
旧藤野町もアートの棲むまちからアートビジネスのまちへと模索している。そこに人が存在するためにはやはり「職」が必要である。よりまちづくりの有為な人材を確保するためにも、この分野での施策の展開は集中的に行うべきである。
地方創生といっても「人」が立ち上がってこなければいずれ頓挫することは間違いない。その「人」をこの地に定着してもらうための智慧を皆で出し合うことが今まさに求められている。