G-QCX3G9KSPC
閉じる

新しい年に

2016年も明けて既に半月が過ぎようとしている。今年は夏に参議院選挙を控え、また選挙権が18歳以上に拡大される日本の政治史の新たな一歩を刻む意義深い年である。

昨年は、統一地方選後の5月の臨時議会で副議長に推挙され、以来議会運営に議長とともにあたってきた。

その前年1年間は、総務委員長として委員会運営を担当したが、市立甲府病院の放射性物質過剰投与問題(RI問題)、本庁舎窓枠落下問題など、重い課題が山積し、解決に苦慮したところでもあった。

副議長就任後の最初の大きな出来事は現職市議の飲酒運転事件であった。当然のことながら世間の目は「議会」に向けられる。議会の一員という意味では議員の所属組織として議会があるととらえる向きも少なくない。

その結果、マスコミによる議会の代表者である議長への取材も当然のように行われた。

しかしながら、法制度は議会の一員ということを裏打ちするような仕組みになっていない。議長には議員個人に対する指揮監督権はないし、また議会自体も除名という最終的な権限が規定されているものの、組織の一体性を確保するような制度とはなっていない。

こうしたことから、議員個人の議会活動とい側面が浮き彫りになるが、2元代表制という理念を実現するうえでの制度的な立ち遅れは否定できない。端的に言えば、合議「機関」としての議会というにはまだ成熟した制度とは言えない。

これまでも何度か指摘してきたところであるが、これからの政治の基本的なあり方は何といっても「議論を通じた合意形成」の実現だろう。

議会がその最終的な意思決定としての議決を行うには、前提として論点を徹底的に議論によって潰しあい、妥協点を見出していくという作業が求められる。

結論を出すプロセスとして「成熟した議論」が政治への信頼を深める唯一の方策である。そのためには、議論の出発点にあたって、「何のために」という目的観を共有することが必要である。

議会にあってはこれが「市民生活の向上のため」であり「国民のため」であるという代議制民主主義の本旨に立って議員ひとりひとりが確固とした認識を持つことが求められる。

残念ながら日本の政治史においてはまだまだ「成熟した議論」がほとんど見られない。昨年の国政における安全保障法制の審議を見れば明らかである。そこには目的観の共有はなく、いってみれば「国民のため」というよりは「自党の利益のため」が露骨に見え隠れしていた。

不見識なレッテル貼による印象操作、議論の場は国会であるにもかかわらず、国会外のデモに託した野党のお粗末さ、肝心の国会審議でも論点提示がほとんどできないお粗末な質問、あげくは審議妨害。

そこにはあまりにも国民を愚弄して平然としている野党の姿がある。野党の役割を全く自覚していないような審議に臨む態度。端的に言えば、「権力に立ち向かう抵抗者」の姿を演じ、国民の歓心を買おうとする「前時代的な」考え方である。

与党に少しでも与すると次の選挙に不利に働という盲信からの対応だが、むしろ「どういう議論をしたか」という点に国民の関心は常に向いているのである。与党だから、野党だからという単純なカテゴリー化による判断しかしないと思ったら国民をばかにしている。

「国民のために」どれだけ真剣に議論してくれたのか、なのである。勘違いしないでもらいたい。

地方議会においても同じことだ。「議論を通じた合意形成」をいかに実現していくか。そのために現行不足している制度資源をどう創造していくか。議会制度の研究のポイントはそこにある。

新しい年が目指す政治の理想の姿に一歩でも近づくような、そんな意義のある年にしていかなければ、と改めて決意している。

2016年夜明け 2016年夜明け

最近のコメント

表示できるコメントはありません。