今や我が国はこれから人口減少の坂道を転げ落ちると言われている。22世紀初頭の人口は約半減するという推計もあり、いたるところで人が全く住まない無居住地域が出現し「スカスカ」の国土になるとさえ言われている。
地域が消滅するという衝撃的なレポートも発表され、国が全自治体に人口ビジョンと総合戦略の策定を求めたのはつい最近のことである。
そこにはこれまでの成長を続けてきた日本の姿が意識の中に焼き付けられ、人口減少が大きなマイナスイメージととらえられている。適正な人口規模はどの程度か、という議論はあまり聞かない。
だからこそ、人口減少にどう歯止めを加え、これまで以上のイノベーションによって生産性を上げ、成長基調を維持しようという論調が圧倒的である。
だが、人口減少は避けて通れない大きな課題である。出生率を上げるためのあらゆる政策を総動員しても効果が表れるのは数十年先である。
もはや人口減少を前提として、いかにこの変化に対応する社会システムを再構築していくかを模索せざるを得ない状況となっている。
これは自治体経営のみならず、地域生活のあり方自体もこれまでの右肩上がりの成長時代の考え方を大きく転換していくことが強く求められる。もはや、「負担」の分配という方向へパラダイムの転換をしていかなければならない。
古き良き時代、高度経済成長期の我が国の時代は、昨日より今日、今日より明日とより希望が満ち溢れていくことが実感された時代である。
個人の努力で他者の助力を借りなくともいろいろなモノが手に入り、大家族から核家族へと生存のための最小単位もより小規模化するのと並行して地域での人間関係も次第に瓦解していく。
その結果が地域での連帯感の希薄化であり、日本の地域コミュニティが伝統的に持っていた有益な機能、相互扶助や防犯防災機能などの低下を招いた。
地域課題への主体的な解決努力を次第に煩わしく感じ、極端な地域では自治会、町内会の廃止へとかじを切り、以後行政への依存が次第に高まっていく。
成長を続ける時代であれば、度を超す行政依存もそれほどのひずみが表面化することはなく、逆に行政側での住民のためのサービス提供という自負心、極論すれば自己満足を充足させることから、静かに進行する「病魔」、すなわち地域の自立心の阻害という弊害が知らず知らずのうちに蝕んでいたことに気づかぬままバブルの崩壊、人口減少とこれまでの発想を捨て去らなければ社会の持続性を危うくする状況にいきなり放り込まれた。
これまで長い間地域活動に身を置いた立場からは、こうした時代の変化といまだに古い社会システムを維持しようとする意識に大きな危機感をすでに10年以上前から抱いていた。
だからこそ、地域の主体性の回復という命題を「協働」という思想を使って訴えてきたものである。
端的にいえば、地域の課題はまず地域が主体的に解決の汗を流すことである。「自分たちの地域は自分たちで」というスローガンは決して行政の責任放棄ではない。
我々議員もいかに行政にやらせるか、ではなくいかに行政にやらせないか、という逆説的なモノの見方に転換しなければ人口減少時代の地域経営は到底実現不可能である。
求められるのは、いかにして地域の内発性を再び引き出すか、いかにして再び自己決定力を回復させるか。そのためのエンパワメントの資質を議員に求められるのは必然である。