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先進地視察(2)~豊後高田市~

16日(水)午前9時から、豊後高田市役所にて、ごみゼロGメンと昭和の町について研修しました。
豊後高田市では、観光客のごみのポイ捨てやペットのふん害その他のごみの不法投棄が後を絶たない状況のなかで、平成16年に「美しい大分県づくり条例」が制定されたのをきっかけに、「ごみゼロぶんごたかだ作戦」を展開するなど、市をあげてごみゼロ実現に向けた取り組みを進めてきた経緯があります。
その後、平成17年3月の1市2町の合併を経て、市民の融和と市内景勝地の再発見をねらってスタンプラリー方式を取り入れた「クリーン大作戦」の実施、平成18年には「豊後高田市環境美化に関する条例」を制定し、「ごみゼロぶんごたかだ推進大会」を開催するなど、市民・事業者・行政が一体となってごみゼロ運動を推進してきました。

しかし、取り組みがマンネリ化し、次第に市民の関心も薄れてきたことから、今年7月に条例を全面改正し、「ごみゼロぶんごたかだ条例」として新たにスタート、「規制の重点化」を図り、「行政・市民・事業者の協働」を明記し、「ごみゼロのまちづくり」として位置付けしました。
ごみゼロGメンはこうした中、生まれたもので、市民から公募し、重点区域の巡回指導などにあたってもらうものです。 Gメンというネーミングもオールドファンには懐かしく、いいですね。

まちづくりという形で位置づけを明確化したことで、市民の「自分たちのまち」意識を呼び覚ます効果があるとみました。特に昭和の町での成功体験に裏打ちされ、自分たちのまちに対する「誇り」に満ち溢れている感じで、相乗効果でますます元気になっていくのではないか、と感嘆しました。

続いて、昭和の町について伺いました。全国の地方都市の今や共通の課題ともいうべき中心街の衰退は、豊後高田市も例外ではありませんでした。
平成4年に商工会議所が大手広告代理店に依頼して再生プラン「豊後高田市商業活性化構想」をまとめました。その内容は、文化センター、スポーツセンターを建設してその周辺に商業集積をつくるというものでしたが、巨額の事業費の財源めどが立たず、ボツになったとのこと。
この失敗を契機に、商業者、会議所、行政の3者で「豊後高田市商業まちづくり委員会」を立ち上げ、当事者も交えて議論を重ねました。

その結果、商店街が一番元気だった「昭和30年代」を「まちの個性」としてアピールしようと決めて、「昭和の町」が誕生したそうです。
極めて示唆に富むストーリーです。地元商店主を度外視してプランをつくってもうまくいくはずがない。誰のため、そして誰が、どこまでできるか、をきちんと議論し、自分たちの手でまちをつくろう、という気運が生まれることが成功のカギだと改めて知りました。

ちょうど30年代は、私の幼少のころであり、同年代にとってノスタルジーを感じる古き良き時代です。そこには少なくとも温かい「人と人とのつながり」があった。昭和の町を実際歩いてみると、商店主の皆さんが気さくに話しかけてくる。こちらもつい話に乗ってしまう。店を出た瞬間にまた来よう、という感情が芽生えてくる。実に不思議な「昭和の魔力」です。「昭和の町」は単に街並みが昭和時代というのではない。そこにいる人の営みが、温かい人間関係に包まれていたまさに昭和時代のものということです。だから年間100万人もの人が訪れるのではないかと感じました。まさに、まちづくりのカギは「人」です。
甲府のまちづくりにも豊後高田市の成功は大いに参考になると思いました。 ‘, NULL, NULL, NULL, NULL),
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幻のオート三輪「ミゼット」
資料館入り口

まだまだ紹介しきれない昭和の町です。

 町の人も大型観光バスが何台もやってきてたまげている、と話していました。
 そうした日常が限りなく同年代を生きてきた我々には郷愁を呼び覚まします。 昭和の町は、それまで犬と猫しか歩かないと揶揄された商店街を見事に再生させ、まちづくりのお手本となっています。ぶらぼー。

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