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議会からの政策サイクルの課題

最近の議会改革は第2ステージに入っていると識者が指摘する。議会がこれまでの伝統的な監視機能から一歩進んで、議決権を担保にした「政策提言機能」を強調し、そこに住民福祉への奉仕という視点から議会の存在意義を見出そうとする。

そこには住民から「議会が何をやっているのか分からない」「議会は執行当局の追認機関で存在意義に乏しい」といった典型的な批判にこたえようとする議会側の努力がうかがわれる。

議会改革の先進議会ではすでに、議会という一つの組織体を前面に立て、住民との意見交換を通じて吸い上げた課題を「政策提言」という形で執行機関に提示することによって解決に導こうという「議会からの政策サイクル」確立に懸命の努力を行っている。

そのこと自体批判するつもりは毛頭ないが、こうした努力に対してもなお住民の側からする素朴な疑問が払しょくできず、次のような課題が横たわっている。

まず第一に、議会が住民福祉向上のために執行機関に提言する政策は、議会が議決権という伝家の宝刀を持つがゆえに執行機関は無視できず、実現可能性は極めて高い。個々の議員の提言はあえて無視とまでは言わないまでも、議会内でオーソライズされない限り、執行機関は容易に首を縦に振らない。

しかしながら、その政策の「正統性の淵源」が問題となる。議会が組織として住民と意見交換を行い、そこから政策課題を発見し、政策をコンストラクトするところに「民意」という正統性を付与することができるかもしれない。

ただし、大きな不安がある。その政策が果たして住民全体の福祉の向上に寄与するものであるかどうか。例えば、ある階層の住民にとっては非常に有為な政策であっても、他の階層の住民には全く無益な場合も考えられる。

全ての住民を一人残らず満足させる政策というのはほとんど不可能に近い。古来から例えば「最大多数の最大幸福」といった形で妥協せざるを得ない場合がほとんどである。

また住民から意見を聴取しても、何が課題であり、どういう解決策があるか、という、「気付き」と「構想力」を議会が持たないとしたら、政策提言は議会が仕事をしているというアリバイ作りに堕してしまう。こうしたことから、提言する政策の正統性を問題とするのである。

第二に、仮に正統性を持った政策提言であっても、その政策を実行することによって果たして住民福祉がどれだけ向上したか、客観的に測ることが果たして可能なのか、という点がある。

これは議会の提言する政策のみならず、執行機関の実行する政策に共通して言えることである。

およそ政策はその目的が究極は住民福祉の向上にあり、議会からの政策サイクルを論ずる場合はこの点に最大の論拠を置く。首長とは別に直接選挙で選ばれる議会だからこそ幅広い視点からの住民福祉向上が期待できると思われる。

だが、住民福祉の向上を一体どういう形で住民に示すのであろうか。現在議会からの政策サイクルの論調はこの点の論証が弱い。ここに政策サイクルへの素朴な疑問、すなわち果たして住民にとって「役に立つのか」という疑問が払しょくできず、政策サイクルシステムを構築しようとしても適切な説明ができるか自信がない。躊躇しているのはここに原因がある。

最近では重要成果指標「KPI」を用いて成果測定を行う手法が生まれているが、それ自体は住民福祉向上量そのものではない。KPI達成をもって住民福祉向上があったと「みなす」ものであり、「擬制」である。

カスタマーである住民に政策効果を説明する場合には恐らく成果指標を用いて説明するのであろうが、すべての住民に理解されるとは限らない。前述したある階層の住民に有為であっても他の住民にとっては無益な政策もあるからだ。

議員が選挙の際、議会で政策サイクル確立に力を注いだといっても、住民にとっては直接的なメリットがなければ恐らく支援は得られないという懸念が払しょくできない。投票は「議会」ではなく「議員個人」に対して行われるからだ。

議会からの政策サイクルに対して未だ戸惑いを覚えるのは、以上のような疑念とともに、議会が組織として一つのまとまりを見せることができるか、疑念があるからだ。

こうした疑念を払しょくするためには、やはり、住民福祉向上を分かりやすく説明できるツールの確立が急がれるだろう。これが可能となったときに議会改革は新たなステージに入るだろう。
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